全日本選手権【羽生結弦の戦い】 〜意地は男の子と最後の砦〜
今年の観戦の締めくくりは長野。
仕事で今年は何度も行った場所だったけど、観戦で行くと、ちょっと違った気分。
観戦仲間とおいしい蕎麦を食べるところから始まる。
事前に寒いと聞いていたけれど、実際についてみるとそうでもなくて。
私にとってはちょうどいい感じだった。
全日本参戦は3度目。
羽生結弦を追いかけてきた歴史に重なる。
Twitterでも書いたけど、最初に真駒内に行ったとき、男子の最終グループのメンバーしか、正直、よく分からなかった。
見たのはショートだけだったので、30人も滑るんだ、ということが衝撃的で。
トップ選手と言われる人たちがどれほど凄いかも、その違いを見て感じてた。
でも、今年は滑走順を見てもたくさん楽しみな選手がいる。
それがこの2年間の私の収穫。
ゆづが一番に好きなことは変わらないけれども、他にも気になる選手が増えていく。
この人の演技が見たいという選手がたくさんいる。
もし、ライトなファンのままでテレビでしか見ることしかしなかったら、きっと気づけなかったこと。
そう思うと、彼が私の世界を広げてくれたということ。
ショートの日。
6分間練習を見て、少し安心。
すべてに余裕があるように見えた。
バラード1番はゆづのスケーティングの進化を見せてくれたプログラム。
音楽表現が難しすぎるかな?とも思えたけれど、それが今年のひとつのチャレンジだったんだね。
落ち着いた演技がゆづの表現の幅を広げたと思う。
静かなプログラムの難しさを感じた中国杯。
上手くパーツが嵌らないと、どんどん曲に置いて行かれる。
それを見事にこなしていた。
最終的にジャンプ構成が後半に4Tが入るのかどうか分からないけども、これが完成したらどうなっちゃうの?と思うくらい、GPFとこの全日本で完成度が上がってきた感じ。
ジェフ、やっぱり天才。
これをゆづにやらせようと思ったところが。
ただ、ジャッジが厳しくてスピンがレベル3だらけに。
確かに足らなかった。
それを忘れさせるほどの演技だったけどね。
そして、「オペラ座」。
GPFの演技を見た後だったので、期待感は恐ろしく高い。
でも、6分間練習の様子を見て、何かがおかしいことに気づく。
あまりジャンプの練習もしてなかったし、何度もオーサーのところに行っていた。
これはヤバイゆづのフラグ。
前日とあまりに様子が違っていて何が起こったんだろう、と。
また、苦しい彼の演技を見なければ行けないのか、と少し覚悟をしていた。
そして、冒頭のクワドサルコウ。
これが出来ないことは驚かなかったけど、スピンでぐらついたときにはもう気が気じゃなくて。
祈るしかない気分に。
しかも、スケーティングのスピードがGPFほどないのもよく分かった。
どんどん心配な気持ちが沸き上がる。
ここからのゆづの演技は凄かった。
ひとつもミスをしない、という気迫と意地が伝わってきた。
本当に、これが、羽生結弦だね。
ここでちゃんと結果を残して、次へ進みたかったんじゃないかな?
終わったあともお腹に手を当てていて、おかしいな、と思ってた。
だから、病気の発表があったとき、驚かなかった。
本当にシーズン前半は満身創痍で戦い抜いたんだと、その事実に感動すらしていた。
そして、このタイミングを選んだことも彼らしいと。
もちろん結果は分からない。
病状によっては難しいかもしれない。
でも、彼がこのタイミングを選んだのは世界選手権に行きたいからだと私は思う。
そして、バラード1番、そして、このファントムを仕上げたい、そう思っているだろう。
もう、私たちに出来ることは見守るだけ。
それが、2014年の羽生結弦が私たちに教えてくれたこと。
そして、その覚悟があるかを問われたシーズン前半だったと思う。
でも、今年の全日本選手権の主役はゆづじゃなかったね。
それは、別にじっくり書こうと思う。
お疲れ様でした。
そして、渾身の演技をありがとう。
一日も早く回復して、大好きなスケートが出来ることを祈ります。
グランプリ・ファイナル 王者の復活劇 2
ライブストリーミングでフリーの演技を見る準備をしてた。
今日は一人ではなく、観戦仲間と私の家で観戦。
もしかしたら一人で見るのが少し怖かったのかもしれない。
中国杯であの瞬間に一緒にいた仲間だからこそ、この瞬間に一緒に居たかったのだと思う。
今でも、あの衝撃が薄れることはない。
フィギュア観戦を続ける限り、6分間練習をヒヤヒヤしながら見るだろう。
本人もそれを乗り越えようと前を向いているのだから、ファンがそこから逃げる訳にはいかない。
ハビの国、バルセロナ。
熱狂的なハビのファンの声援。
でも、映像で見た限り、ゆづへの声援も凄かったと思うよ。
日本から応援に行った人もたくさんいたよね。
私もいろんなモノが許すなら、行きたかった。
でも、テレビの前にいても応援する気持ちは1ミリたりとも変わらないよ。
前日のショートも見ていたし、公式練習のレポートをツイッターでちらっと見ていたので、今日は大丈夫だろうと思ってた。
ゆづがNHK杯の時に、置き忘れてしまったものは「自分を信じる」ということ。
練習時間のない中で自分がやってきたことを信じられなかった、そういうこと。
あの時にも書いたけども、あんなにオーラのない彼がそれを物語っていたと思う。
だから、大丈夫。
オーサーが作ってくれた練習メニューが自信を取り戻させてくれたんだろうな、と。
ショートプログラムの結果からみると他の選手の結果はとっても意外だった。
特にまっちー。
確かにショートからなんか疲れてるかな、と感じたけれど、まさかあそこまで崩れるのは想定外。
しばらくあれほど崩れる彼を見たことがなかったし。
まさか、それがいろいろなモノへの伏線だったとはそのときは思いもしなかったけれど。
リンクに出て行くゆづ。
もう、その姿はNHK杯とは違っていて。
私たちがよく知っている羽生結弦だった。
冒頭のサルコウが決まった瞬間から、もう、凄いことが起こる予感しかしなかった。
クワドトウの着氷と、音楽がぴたっと合っていたのを見て、これが彼の真骨頂だと。
シェイリーンの振り付けは、ゆづに合ってる、と最初から感じてたけど、これは凄い。
オリンピックの次のシーズンに滑ってしまうにはもったいないいいプログラムだな、とどんどん感じるように。
ようやくこのプログラムの全貌が見えてきた。
中国杯やNHK杯では見れなかったそのすべてが。
ニースでゆづに嵌ってから、やっぱりあの年のロミオが一番好きなプログラムだった。
どんな素晴らしいものを滑っても、心はそこから動かない気がしてたけど。
これは、ホント、私好み。
この「オペラ座」がニースロミオを超えた瞬間だった。
オーサー、トレーシーそしてシェイリーン、このプログラムを作り上げてくれてありがとう。
中国杯から辛いことばかりだったはずなのに、こうして素晴らしいプログラムを見せてくれてありがとう、ゆづ。
彼がこれをみんなに見せたかったことがよく分かる。
ゆづらしい、そして、深くて優しいピュアなファントムを見せてくれてありがとう。
後半のトリプルアクセルのコンボが綺麗に入って、勝利を確信した頃から、いろんな思いが頭をよぎった。
この1ヶ月半、彼がどれほど、辛い思いをしたか。
身体のことも、そして、いろんな意見にきっと心を痛めたことも。
彼はきっと思っていたに違いない。
それに答えを出すためには自分が演技で結果を見せるしかないと。
そして、それをスペインの地で成し遂げた。
すべてが君らしいけど、やっぱり、私は泣いたよ。
友人と抱き合って。
演技の素晴らしさと、君の思いが成就したことが嬉しくて。
最後のルッツは神様からの贈り物。
神演技はワールドまでとっておこうという粋な計らい。
と、この時は思っていた。
グランプリ・ファイナル 王者の復活劇 1
グランプリファイナルが始まった。
ジュニアの大活躍を見ながら、不安は拭えなかった。
あのNHK杯からまだたった2週間。
できることなら行きたかったバルセロナ。
12月が〆づきの私の会社ではその選択は難しかった。
しかも日本ではライブ放送がない。
今年はIcenetworkの有料会員になっていてよかったと思う。
とは言っても、通常はIcenetworkはジオブロックがかかるので、普通にはアクセス出来ない。
ショートの時も、フリーの時も1時間近くをプロキシ探しに費やす。
それでも、比較的安定した画像で競技を見ることができたので、お金を払っている意味はあったと思う。
もちろん、放映権を持っているテレビ朝日にはもちろんライブでやってくれたらいいのだけれど。
バルセロナに入ってからの、ゆづの練習映像を見て、今度はもしかしたら、と、少しは期待していた。
クワドの回転のスピードアップと軸が細くなっているのが見て分かるほどだった。
取り戻しつつあるんだな、と感じることができた。
シニア男子の前にジュニア男子のフリーのしょーまを見て、私はやっぱりな、と思ってた。
しょーまがクワドとアクセルをものにして、シニア顔負けの高得点でジュニア王者を手にしていた。平昌オリンピックでゆづの連覇を阻むかもしれないライバルの一人になる予感がひしひしとしていた。
ほら、ゆづ、後ろから、貴方がそうしてきたように、若い選手が追い上げてくるよ。
それを見てどう感じているんだろう。
ショートの6練を見ても、クワドもアクセルも安心してみていられた。
後はお散歩ルッツが帰って来てくれるかどうか。
彼のルッツは時々、お散歩する。
跳び上がった時に上体が前傾姿勢になるときはとても危険。
調子のいい時はそれにセカンドジャンプをつけるけれども、ヒヤヒヤしながら見ることになる。
スタート位置についた彼の顔を見て、今日は大丈夫、そう思っていた。
この日の羽生結弦は自らショパンの旋律を奏でるような滑りで私たちの心配を払拭してくれていた。今シーズン、試合で始めて決まったとは思えない素晴らしいクワドトウ。
私を魅了してやまないジャンプがそこに戻ってきていたのだ。
カウンターからのアクセル、そしてイーグルへの流れもとてもとても美しかった。
ショパンのバラード1番はとても難しい選曲だと思っていた。
音楽が引っ張ってくれるプログラムではなく、音楽とシンクロしなければならないそれ。
一つのピースがかけるとどんどんバランスが悪くなっていく。
それは前の2つの試合を見て感じていたことだった。
けれどこの日は彼が音楽を奏でているような滑りだった。
最後のルッツのコンビネーションは決まらなかったけれど、復活を感じさせるのに十分な出来だった。
よかった、ここまで戻せたんだ、という安堵感でいっぱいになった。
そして、転倒したにもかかわらず笑っていた彼。
演技が終わった時に舌をだす余裕があった。
キスクラでも終始、笑顔だった。
彼らしい滑りが戻ってきたこと、そして何より笑顔が見れたことが嬉しくて。
中国杯、NHK杯で自分の中に溜め込んでいた負の感情が溶けていくような気がしていた。
このグランプリファイナルで彼が復活して勝利を手にして欲しい、
彼が望む表彰台の一番上に立たせてあげたい、そう考えていたけれど、
彼が楽しそうに滑っている、それが何よりも尊いものなもかもしれない、とも思えていた。
いつものように滑れることが本当に嬉しいんだなというのが全身から伝わる演技だった。
TESカウンターが50点を超えていたので、ああ、これは90点台がでるな、とすぐにわかっていた。
本人はちょっと驚いたようだったけれど。
スピンも、ステップもレベルが取れていたから当然の結果だと思う。
あとでヴォロノフがノーミスだったのにゆづの方が点が高かったのはおかしいという人が意見が出ていたことを知った。
まだ、転んだら致命的だと思っている人がいることに愕然とする。
ジャンプ一つとっても、ただ跳べばGOEがつくわけではないことはルールを見ればよく分かる。
GOEが高くつくための要素を満たしていたかが重要なわけで。
同じクワドを跳んでも、ただ跳んだ、と素晴らしく跳んだには2点~3点の違いが出る。
しかもどこで跳んだかによって、ベースバリューが違う。
ゆづはトリプルアクセルを後半にしかも難しい入りから完璧に跳ぶことによって、そこでも、他の選手と差をつけようとしている。
点数は積み重ね。
ひとつひとつのエレメンツの質をどれだけあげられるか、で結果は大きく違っている。
私はヴォロノフさんも好きだけれど、彼が点数を出すためにはもうちょっと、3Aの助走を短くして工夫するとか、そういう事が必要だと、分かるようになった。
2年もドハマりして、沢山の選手を見て、プロトコルの疑問をひとつひとつ紐解き、教えてもらってくれば、だいたいは分かるようになる。
ルールが難しすぎて分からないというのは詭弁だと私は思う。
確かに分かりづらい。
私だって最初はまったく点数がどう出るか分からなかった。
GOE、なにそれ?という感じだったと思う。
それでも選手はルールに則って、0.1点でも多くかき集めて、勝ちたいとそう願っている。
そのために多くの時間を費やして、苦しい練習をこなしているのに。
それをただ見ているだけのファンが、難しすぎてわからないけど、何かおかしい、なんて、
言葉にする必要はあるのだろうか?
ただプログラムを見るのが好きなんで、ルールが分からなくていいと思う人がいてもいいと思う。
それなら、結果にいちゃもんなんかつけなきゃいいんだよ。
それを口にすることで何を得ようとしてるのだろう?
きっとドコまで行っても、私には理解出来ない。
そんな批判にもさらされるトップアスリートは大変だな、と思う。
つづく。
ファントムの涙 2
冒頭のサルコウが抜けたとき、やばい、と思っていた。
確かに、昨シーズン、ほとんどサルコウが着氷することはなかったけれど、回りきらなかったことはなく、その実行力に感服したほどだったのに。
たぶん、サルコウがダブルになったのは2012年のGPF以来じゃないかな?
次の4Tは3Tでしかも、転倒。
まさかこんな出だしで始まるとは。
私がゆづの競技を見はじめてから、こんなに儚げな彼を見たことがないんじゃなかな。
どんなにフリルの可愛らしい衣装を着ていても、中から湧き出る闘志がそれを凌駕するのが彼。
「フリルを着た阿修羅」なんて言われるくらいに。
気迫と、気合で、大きな壁を乗り切ってきたのだろうと思う。
私も呟いたし、あとのインタビューで本人も言っていたけれど「自分を信じきれなかった」結果なんだね。
直前まで綺麗に跳べていたのに。
後は無事にプログラムをこなしてくれることを祈ろう。
鉄板の3Aに狂いが出たのはザヤるのを恐れたからなのか、本当にパンクしただけなのか、本人に聞かないと分からない。
点数的を確保するなのに、どっちがよかったんだろうね。
4Tが想定外の3Tになってしまい、3A-3Tを飛んでしまったのでとアクセルか、ルッツの2本目を諦めなきゃいけなかった。
3回転の同じジャンプは2種類までしか跳べない。3Tでそれを使いきってしまった。
滑りながら構成変更を必死で考えただろう。
1点でも多く積み上げるためにはどうすればよいかと。
理系能の計算はできるタイプだもんね。
正解は分からない。
2A-1Lo-3S 、3Lz か、3A-1Lo-3S、2Aのどちらかだったんだろうね。
コンボ全体やジャンプそのものの配点を損なうことなく、跳びきった判断は凄かったと思う。
それでも普段の彼からしたら、その実行力が確実に落ちていることを感じる試合だった。
練習不足か、体力不足か、その両方か。
滑り終わった時、求め続けたファイナルへの切符が遠のいたことを感じただろう。
すさまじい思いをして、滑りきった中国杯を無駄にしてしまったと思ったかもしれない。
そうやってNHK杯のゆづ自身の闘いは幕を閉じたのだ。
満足のできない結果。
存在したのはNHK杯で両方のプログラムを滑りきった、という事実だった。
それがとても大きなことで、それをやりこなしたことで、羽生結弦劇場は、幕を閉じずに済んだ。
素晴らしいパフォーマンスだった村上選手、プログラムを何とかまとめた無良選手。
そして、遅咲きとも思えるヴォロノフ選手が表彰台に立つことになり、順位はひとつ上げて4位。
この時点でジェイソンを抜いて6番目でグランプリ・ファイナルに行くことが決まる。
本当にギリギリのラインで目標をクリアしたのだった。
本当に、本当に、私は複雑な気持ちだった。
ゆづのファイナルに行きたいという気持ちが叶ってくれたら、と思う反面、
ファイナルにいけなければ、全日本まで余裕を持って調整できるのに、という気持ち。
これは今も自分では折り合いがついていない。
(いいんだよ、私の気持ちなんてどうだってw)
彼はファイナルへの切符を手に入れた。
これを引き寄せたのはNHK杯の彼ではなく、上海での気迫とチャレンジにスケートの神様がくれたおまけなんじゃないか、とふと感じた。
このポイントでグランプリファイナルに出場できるのは2009年以来らしい。
彼を「何か持っている」と捉えることもできるし、「何かを成し遂げる人」だからこそ、
困難かもしれない道を選ばされていると捉えることもできる。
敢えて厳しい道を歩いたことで得たものもたくさんあるだろう。
そして、犠牲にしたものも。
それが羽生結弦という男が選んだスケート人生なのだろう。
男子の表彰式前に、キスクラで表彰台に村上くん、無良くんがインタビューを受けている時に、出てきたゆづ。
ヴォロノフと何か話し込んだり、メンバーを祝福したり。
自分に対しては、厳しい言葉でインタビューに答えていた。
怪我を言い訳はしなかったね。
実力不足と言い切った。
それを受け入れるのはとても勇気がいることだと思う。
言葉にして、表出化することで、自分に言い聞かせようとしているのか、とも感じていた。
もしかしたら、痛みはあったのかもしれない。
それが激痛だったのかどうかは本人しか分からない。
ゆづ自身も言っていたように、それでも中国では回りきれたのだから、痛みは理由ではない、と。
私もそう感じていた。
NHK杯のSP/FSを通して、彼らしいパフォーマンスではなかったと思う。
ジャンプの成否ではなく、プログラムを通して、羽生結弦らしい「ドヤ感」のカケラもそこには見られなかった。
何かに怯え、何かに囚われているようにすら見えた。
彼はそれを自分への「不信」と表現していたよね。
あの広いリンクに立ち、やるべきことをやり切るためには自分を信じなければ難しい。
彼はそれを痛感したのだろうか?
そんな状況でも彼は一歩も引こうとしていない。
「チャレンジャー」としてトップを狙いに行くと。
そんな心境まで回復できたことがよかったな、と思える。
後は自信をつけるための練習を積み重ねるしかないのだろうし。
ゆづは表彰台に上がる選手をひとりひとり祝福しながら、見送り、国旗が掲揚されるなか、君が代を口ずさみ、村上くん、無良くん、ヴォロノフが観客に祝福をされているのを後に、ひっそりとひとりバックヤードに消えていった。
自分のいない表彰台。
自分ではない日本選手が掲げた日本国旗に君が代。
そこに立って祝福することは苦しく辛いことだろう。
それを目に焼き付けようとしている彼の凛とした姿に私は涙した。
私を泣かせたのはファントムではなかった。
彼を応援したいと思える所以はこういう彼の姿にもあるのかもしれない。
涙はときに心の奥にある昇華できない思いを流し出す作用があるという。
私も彼と同じように涙に浄化され次を見据えていこうと思う。
GPFはスペイン。
リンクメイトのハビエルの国。
どんな気持ちでそこに向かうのだろう。
PJのデスノートからゆづの名前は消えたらしいので、これはチャンスかもしれないね。
母国でハビと優勝を争うゆづを見たい気持ちで今はいっぱいです。
ファントムの涙 1
11月が終わった。
私にとっても、怒涛のような1ヶ月だったなぁというのがしっくり来る。。
この1ヶ月、本当に彼の心配ばかりしていた気がする。
フィンランディア杯の欠場を聞いてから、その体調を心配し、中国杯の出来事でさらに心配ごとは増えて、今も続いている。
ゆづがNHK杯を諦めないだろうことは想定の範囲内だった。
上海で、あの状況で滑り切ったことを考えれば、この試合に出ずにファイナルを諦めることはないだろうと想像がついた。
その過程が私が思ったよりも過酷だったことは後で彼の発言から分かることになるのだけれど。
報道では構成を落として臨む、と連呼されたけど、極端に落としたわけではない。
ソチオリンピックの時と変わらない難易度。
勝負するつもりだっとことが分かる。
いくら彼がスーパーマンでも、この試合で勝つことは難しいだろうと思ったし、
勝ち抜くのは無良くんだと思っていた。
今年の彼は去年までの彼とは違っていたから。
ショートの6練に出てきたゆづを見て私は切ない気持ちになった。
ここまで来るのも本当に大変だっただろう。
滑っていることが奇跡だから、それでいいと思えたら幸せだったろう。
その佇まいに「羽生結弦らしさ」は感じられなかった。
ショートに選んだ「バラード1番」は残酷なプログラムなのかもしれない。
パリの散歩道のように勢いで彼を連れて行ってはくれない。
淡々と技術を積み重ねて、音を取りながら、表現していくことで味が出るプログラムだから。
会場の空気も盛り上げにくい音楽構成でもあるので、ジャンプの失敗で途切れてしまうと、
なかなか自分を上げていくのが難しいのだろう、と思う。
本来の彼だったら、質のいいジャンプと、滑らかなスケーティング、そして、音感の良さと、独特のオーラで滑りきるのだろう。
この日は珍しく、ゆづが滑っている時に氷をガリガリと削るブレードの音が聞こえて驚いた。
2012年のロミオのころの彼のスケーティングはいま見ると、氷をガリガリと削っていて、
滑っているというよりは、勢いで滑らせようとしているという感じだった。
オーサーコーチのところに行ってから、このスケーティングは劇的に改善されたと思う。
風を切って、トップスピードで滑っても、音がしないのが最近のゆづだった。
そうとう無理をしているのかもしれない、と感じた私は無意識のうちに手を合わせて祈っていた。
「どうか、無事にすべり切れますように」と。
結果はクワドの失敗と、コンビネーションが跳びきれず、5位。
回りきって転ぶことは簡単なことじゃなかったんだね、ゆづ。
クワドの軌道は小さめだったし、入りも回転も遅かった気がした。
あれではゆづが普段、跳んでいる綺麗な4Tは跳べないよ。
跳ぶ前から失敗することがわかっていたジャンプだった。
それでもスピンとステップでなんとか点を積み上げようとしているのはよく分かった。
もちろん、彼の武器はジャンプだけじゃない。
トータルパッケージの強さ。
そこからジャンプが抜け落ちても、取るべきところはもぎ取ることができる彼の強さを認識しつつも本人が納得していないことはキスクラの表情を見ても明らかだった。
頑張ったね、と見ているの多くは思っただろう。
それだけでいいと思ったファンも多かったかもしれない。
でも、たぶん、彼は勝算があって出てきたはず。
もちろん勝つつもりで。
だとしたら、この成績は受け入れがたいものに違いない。
最近のインタビューではもう「悔しい」しか聞いてない気がする。
フリーの日の公式練習で曲かけでクワドが決まっていたことを聞いて、少しだけほっとする。
感覚的なものは徐々に戻り始めてるのかもしれないと。
私はこの日、アリーナのキスクラに近い席で、出てくる選手とコーチがよく見えるところだった。
ゆづが出てきた時、袖口を見て、息を飲む。
新聞に書いてあったことを知らなかったので、ゆづが衣装を変えたことに気づいて、動揺してた。
いままで彼はシーズン途中に衣装を変えることはなかった。
一つの衣装に修正を加える事はあっても。
ジャージを脱いだ瞬間、あまりにも中国杯の衣装とちがうそれを見て、なんとも言えない気持ちだった。
あの衣装を着て滑ることはもうないのだろうか、と。
確かに新しい衣装も素敵だった。
大人びていて、洗練されていて、ノーブルなそれ。
もし、前の衣装を見ていなかったら、すっと、受け入れられたかもしれない。
私にとってはかつての衣装がファントムそのものだった。
包帯姿のイメージしかないあの衣装の記憶を塗り替えたかった。
でも、違う選択だったんだ。
あとで、血が落ちなくて新しい衣装になったと知った。
それだけが理由だったかどうかは私たちはしるよしもない。
リンクに現れたとき、ショートで出遅れた時のゆづがもつ独特のオーラは見えなかった。
いつもならものすごい勢いでトップでリンクに飛び出していくのに、そのスピードは控えめに見えたし、ガンガンとメニューにそってエレメンツを確認してく彼が、軌道や周りの選手ばかりチラチラ見ていた。
何をやるかもオーサーからの指示やアイコンタクトで選択している風にも見えた。
それでもクワドを2本決めていたので、もしかしたら、という淡い期待を抱いた自分がそこにはいた。
つづく。
大切なものを守るために出来ること
流血のファントム 〜喧騒の中の真実 2〜
NHK杯まであと1週間ちょっと。
今日あたりNHK杯をどうするのか、が発表があるらしいです。
ちなみにハンヤンはエリック杯に向かっているらしく、元気でよかったと思う反面、
中国の医療体制とか判断とか不安はあります。
でも、試合に出ると決めた彼も応援したいと思ってます。
いまごろ、ゆづはどこで何をしているんでしょうね。
私は詳しい情報が出てこないことにホッとしています。
これが彼を守る一つの方法だと思っているので。
私にはそういう気持ちは全くありませんが、こんな時ですら、
彼のバナーを持って空港に行くとか、彼のいる場所に行こうとする熱狂的なファンが居る限り、情報が出ないことが安全だからです。
そう思うファンが増えてくれることを祈ります。
NHK杯は未定という報道が出たとき、本人は出る気まんまんだろうな、と思いました。
でなければあれほどの思いをして出た中国杯の結果が無駄になってしまう。
あの演技のあと、最初に口にしたことが「グランプリファイナル」に行きたい、ですから、彼にとっての一番の関心事は試合に出ること。
その気持ちがそんな簡単に失せるわけがないと私は思います。
日本での報道を見ているのか、まったく遮断しているのか分かりませんが、そんなもので彼の気持ちが変わるとはみじんも思えないのです。
そんな彼の気持ちが想像できるから、オーサーは日本に早めにやってくるのでしょうね。
自分の目で状態を確かめて、NHK杯を、そしてこのシーズンをどうするべきか判断すると信じてます。
オーサーの存在はいろんな意味で心強いです。
中国杯が終わってから、本当にたくさんの報道があり、いろんな人がこの件でコメントをしています。
その情報は憶測や思い込みや嘘、そしてちょっとの真実で出来上がっています。
何を信じていいのか分からなかったと思うし、その言葉に疲れてしまっている方もいらっしゃるようです。
私も気になるので、記事も読むし、雑誌も読みますが、その上でこれは違うな、と判断してます。
全部、信じる必要も、受け取る必要もないものかな、と。
すべての真実を知っているのは本人だけだと思っているからかもしれません。
私の気持ちもハーフ&ハーフです。
元気でNHK杯に出てきて、グランプリファイナルにつなげて欲しいという気持ちと、
今は少し休んで、全日本に全力を傾け、世界選手権で結果を見せて欲しい、という気持ちと。
でもね、それは私の気持ち。
できるならすべての試合に出て、結果を残したい、と今も彼が思っているなら、もう、できることはその勇姿を見届けて、応援することだけです。
一連の事件を通じて、その覚悟はどうやらできたようです。
頑張れとは言わない、自分の決めた道を自信をもって進んでください。
大変な男に惚れ込んだよね、と友人に言われ、しょうがないわ、と笑えるくらい、私も元気になりました。
でも、本当に、大変な人を見つけてしまいました。
平昌までまずは自分もがんばろう、と思います。
まずは今回の件はいったん、これで終わりにしたいと思います。
落ち着いたら、プログラムのこととか、衣装のことで盛り上がりたいな。
この件について書き始めてから、普段から想像がつかないくらい、たくさんの方に訪問頂きました。
拙い文章を読んでいただき、コメントを頂きありがとうございました。
ぼちぼち続けて行きますので、またお時間があれば遊びにきてください。
流血のファントム 〜喧騒の中の真実 1〜
グランプリファイナルにも行きたかったんだよ。
流血のファントム ~狂気の中に何を見たのか 4 ~
フィニッシュポーズのゆづの表情は穏やかで、そして優しい空気に満ちていた。
壮絶な闘いを終えた彼の心によぎったものは何だたんだろうか?
会場は嵐のように降り注ぐぬいぐるみと、彼が無事に演技を終えたことでへの安堵と、
その努力への惜しみない声援が交じり合い、異様な空気に包まれていた。
ゆづは足を引きずりつつ、どこか痛いのか、それを抑えつつ、キスクラに向かっていた。
オーサーはそんな彼をどんな気持ちでむかえたのだろう?
キスクラでのオーサーとのやり取り。
昨年のスケカナで自爆した時は、オーサーのいうことは全く聞けず、プーを探していた姿を思い出した。
その時に比べたら2人の距離は圧倒的に縮まっているんだろうな、と感じていた。
オーサーだって生きた心地のしない4分半だったと思うし、私自身、つぶさにそれを見ていたはずなのに、何がそこで起こったのかを未だに記憶は曖昧だ。
感動という言葉では表せない演技だった。
その迫力と意志だけがそこにあった。
美しかったけれど、それはいつもの彼のそれではなく、魂を昇華させるような、命を削って醸し出す特別なそれだったと私は思っている。
ただ、ただ、滑りきれてよかったと。
もう、これ以上の無理はしないで欲しい、という気持ちだった。
あとで、この時、キスクラではファイナルにいけないかもなんて会話が繰り広げられたとこを知り、どこまで彼は貪欲に結果を求めるんだろう、と思ったけど。
スコアが発表された時の会場の歓声は今でも忘れない。
暫定1位になったことで、ファイナルへの可能性を残したことを示していた。
そりゃ、そうだ。
一人だけジャンプ構成のレベルが違う。
誰かも書いてたけど、ゆづのジャンプの強さは4回転が2種類跳べるということよりも、トリプルアクセルの確実性だと思う。
トリプルアクセルを後半に2本も跳べる選手がどれだけいるだろう。
しかもコンビネーションで。
今回は3A-3Tは決まらなかったけれど、3A-1Lo-3Sの基礎点はクワドより高い。
あの状況でそれを決めれる強さはどこから出てくるのだろう、と思う。
彼の点数が高いという意見を言っている人もいたと聞く。
TESに関してはこのルールの元では至極、当たり前についていたと思う。
あんなに減点のついたのもなかなか見たことがないくらいちゃんと引かれるところは引かれていた。
PCSについては私の意見は2G全体が高めについていたという印象だった。
アナウンスされた結果を見て、ゆづは声を上げて泣いていた。
ソトニコワにも言われてたよね、「泣き虫」だって。
目に涙を浮かべた彼を見たことはあったけど、あれほど、声を上げて泣くのを見たのは始めて。
彼が挑戦した結果、グランプリファイナルへの望みをつなぐ結果を手にしたことで、いろんな思いがこみ上げて来るのも当然だろう。
無茶で、無謀で、彼にも、他のアスリートにも真似なんてして欲しいと思わないけれど、この日の彼がやり切ったことは凄いことだったな、と今でも思う。
リンクに鬼のような形相で飛び出して諦めなかったことに意味を持たせる事ができてよかったと。
滑らないほうがいい、リンクに出た時は思ったけれど、諦めないことで彼は僅かな望みをつなぐことができたのだから。
リンクに降り注ぐプレゼントの嵐の中にリンクに出ていき、
狂ったように叫ぶ観客の熱気の後、滑ったコフトンも凄かった。
嬉しくはないだろうけれど、彼のメンタルも相当、鍛えられたに違いないと思う。
そんな状況の中、まとめたコフトンが金メダルを取れてよかったと思う。
結果をみた彼に笑顔がなかったことは残念だったけれど。
つづく。
流血のファントム ~狂気の中に何を見たのか 3~
ハンヤンの順番が来て、彼がリンクサイドに出てきたのを見て、
6練に出なくても、試合に出られることを知る。
でも、ハンヤンの滑りはもう普段のそれではなかった。
きっと痛いんだろうなと思うくらい、顔を歪めた演技。
見たかったハンヤンの雄大な3Aは見れず。
それでも前半は何とかしようという意志が見れたけれども、時間とともにその気力が薄れていくことを感じる。
最後まで滑りきる、その当たり前のことを尊く感じる4分半だった。
滑り終わったあとの彼に疲労感と痛みが襲ってきたのだろう。
キスクラで後ろのパネルによりかかり、肩の下あたりをしきりに気にするハンヤン。
ハンヤンも自国開催の大会に出ないわけには行かなかったのだろうか?
もう、休ませてあげたい、それが彼を見たときの素直な感情だった。
キスクラにハンヤンが座って、落ち着いた頃、リンクには相変わらずバンテージを巻いたままのゆづが表れる。
やっぱり、やる気なんだね、と自分の中でもう一度、それを見る覚悟をする。
ハンヤンがあれだけ影響を受けてたのだから、ゆづに影響がないわけはない、と。
でも、リンクの上で動きを確認しながらハンヤンの点数待ちをしていた彼の動きがさっきよりもシャープだということに少し驚いていた。
ジャンプした後に苦しそうに咳き込む姿はそこにはなかった。
そこにあったのは、血の気の引いた顔にもかかわらず、強い意志と、狂気とも思えるその選択をやり切る決意だったのかもしれない。
その目つきは闘いに挑む男のそれだった。
待ち焦がれたはずのオペラ座だった。
このプログラムを見る瞬間をずっとずっと楽しみにしてきたはずだった。
こんな重苦しい心持ちでこのプログラムに向き合うことになるとは想像もつかなかった。
音楽が流れだし、羽生結弦のファントムは狂気の中に飛び込んでいった。
最初の4Sはほぼ目の前だった。
転んだけれど、回転しているような気がして、ホッとした。
この時、私の頭にあったのはクワド1本と3Aだけでも決まれば何とかなる、ということだった。
ここに彼が出てきたのは、間違いなくグランプリファイナルにつなげるため。
可能性を残すには3位でもいい、まずは表彰台に乗ることが重要。
そのための壮絶な彼自身との闘いがそこにはあった。
もともと彼のジャンプが回転不足を取られることは少ない。
フィギュアの採点方式は、たとえ転んだとしても、回りきって転べば、基礎点を稼げる仕組みになっている。
転ぶという見た目上の影響よりも、パンクと呼ばれる、回りきれずに着氷するほうが点数への影響が大きい。
4Sを回りきって転んだら、基礎点が10.5で、転倒の減点、GOEを引いても、6点くらいにはなるけれど、それが2Sになったとたん、基礎点は1.4になる。
そういう競技なのだ。
だから彼は跳ぶジャンプはたとえ転んでも、回り切る、と思ってたのではないかと思っていた。
4Tも転倒。こちらも私の席から見た角度では回りきっているように見えた。
さらに3F。これは綺麗に決まる。
後でプロトコルを見て!もeもなかったそれを見て、感動を覚えていた。
脳震盪を起こしているのでは、という報道もあったと聞く。
それでも演技の中での彼の動きからその影響は感じなかった。
そして、スピンはいつもの彼のそれに見えた。
ステップでは楽しみにしてたオペラ座の片鱗を見せてくれた。
これが完成形になったらどんなに美しいだろう、と私はその先へを思いを馳せていた。
ステップのあと、後半という地獄のような時間に、
残りのジャンプを跳びきることができるのだろか、という不安は拭えなかった。
後半の最初のジャンプ構成は4T-2T。
まさか、もう1本、跳ぶのか?と思っていた私の予想をジャンプへ向かう軌道が裏切っていた。
そう、3Lz-2Tで彼は3本目のクワドを回避しつつ、完璧にそのジャンプを跳びきっていた。
お散歩がちの3Lzがここで彼を助けてくれるとは。
つづくトリプルアクセル。
明らかにいつもの彼より助走が長い。
その様子からもなんとかこれを決めたい、そう思っていたのだと思う。
結果、転倒。
このころから私の頭は冷静にTESの計算を始めていた。
彼が欲しいその点数にたどり着けるのか、を自分が実感したかったから。
2013年の世界選手権ではライブストリーミングを見ながら、ジャンプが決まる度に私は涙していた。最後の方は本当に画面が見えないくらいだった。
でも、今日、この場にいる私は、何一つ見逃してはいけない。
ここで起こっていることをすべて見逃さないために。
この決意の滑りを最後まで見届けるために、とそう感じていた。
その次のジャンプは綺麗に決まっていた。
そう3A-1Lo-3S。
試合で誰も跳んだことのないこのジャンプをこのタイミングで決めて見せたのだ。
後半で跳ぶこのジャンプの基礎点が14点台。
前半に跳ぶ4T-3Tと同じくらいの点数を叩き出せる恐ろしいコンビネーション。
これが決められるのが羽生結弦の強さなんだろうと思う。
この後の3Loは転倒。
跳び上がった瞬間に軸が歪んでいたので、回りきれなかっただろう、とも。
最後の3Lzでも転倒。
減点5のシニアの試合なんて見たことないよ、ゆづ。
それでも、彼の高難度ジャンプの詰まった構成では点を稼ぐことができる。
それが彼の目指す次の高みだったのだから。
このオペラ座に彼がどれだけの思いを込めてきたか、歌詞を口付さんだり、
最後の方は笑みすらも浮かべている彼を見て、感じていた。
彼にとって、生きることと滑ることはひとつに繋がっている。
だからこそ、身体が動くのに、滑らないという選択肢はなかったのだろう。
「ルールでしか彼を止められない」という意見はあながち的外れではないのだと思う。
そして、彼がそういう選択をし続けたからこそ、今の彼があるのだろうから。
ゆづの心の中にある狂気はまさにファントムそのものだったのだろう。
スケートに対する情熱と、ままならない自分の身体の状態との狭間で揺れ動くもの。
やり切ったあとの彼はまさにその狂気から解放された表情をしていた、そんな気がしていた。
私はこの先、彼のどんな素晴らしいプログラムを見ても、渾身の4分半のオペラ座の演技を忘れることはないだろう。
私をここに連れてきたニースの演技よりも記憶に残るだろう。
彼の魂が叫び続けた4分半だったと感じていた。
つづく。