クワド時代の先駆者 〜羽生 結弦の新しい挑戦〜
ファントムの気高さ 〜生きるのに必要な品格〜
■DOI 長岡初日 ~ただの感想~
去年はとにかく「SEIMEI」が衝撃過ぎたDOI。
私にとってこのショーは新しいシーズンにブレイクしそうだな、という選手を発見する場所。ここ数年おおむね外れてない。
なんとなく出てるオーラとか、雰囲気でこれは・・・と感じるモノがあるみたい。
実は今日は神席でした。
今のところ、やっぱり、金曜日にいい席が来ることが多いな。
全部は網羅しない私の印象に残ったところだけ感想、行きますw。
こーしろーくん。
なんか、背が伸びた。
でもロミジュリはやっぱり、ゆづのイメージ。
脳内再生されるので、いまいち入り込めず。
ちょっとスピンが雑な感じがするけども、まだまだしっくりきてないのかな、という感じで、これからに期待!
ゆは菜ちゃん
彼女の後ろにあっこちゃんが見える。
彼女の振り付けって、ちゃんと分かる。
それが振付はじめてわずかなのに見えてくるってすごいことかな、と。
そのせいなのか、身体の使い方がとっても丁寧で好感が持てます。
プログラム自体はまだこれからかな。
友野くん
いやー、男気!
後半に3Aだよ。攻めるよ。かっこいいわ~。
謎編曲だったけど。
これはかっこいいプロになる予感がする。
新葉ちゃん。
ああ、今年はこの子、ブレイクするわ、とマジで思った。
ジャンプの切れが半端なくて、気持ちがいい。
しかも苦手に見えた柔らかい動きとか、しなやかさとかを出せるようになってて。
早くSPもFSも見たいわ、という気持ちにさせられました。
ただね、この曲は、どうしても私はまっちーだわ。
まっちーが見たくなる。
そーた。
お帰り、そーた。
もう、滑っているのを見るだけで、イーグルしてるだけで泣きたくなるよ。
とっても雰囲気が大人びていてびっくりした。
まだジャンプは本調子じゃないんだろうけれど、プログラムはきゅっと胸が締め付けられるような切なさを感じた。
そーたから、そんな空気を感じたのははじめてかも。
まだジャンプの調子を見てみないと今シーズンがどうなるかは判断できないけども、戻ってきてほしいなぁ。今年中に。
ゆづと一緒にオリンピックに行く夢を持ち続けてほしい。
無良くん。
文句なしにかっこいいプロ。
ステップやばい。これ完成したら、私、わしづかみにされる、絶対。
しかも今日は目の前で特大の3Aを拝めるポジションだったので、改めてそのジャンプの凄さを実感。
あんなに高く3Aを跳ぶ選手、ほとんどいないと思うよ。
きっと、4Aも跳べる!期待している。
衣装もかっこよかったわ~。
今年、ワールド行きを競う一人になる、絶対。
理華ちゃん。
カルミナ、合ってる。
去年から理華ちゃんが凄いなと思うのは手足の長さを生かして大きく見える曲や振付になっていること。
結局、プログラムがよりよく見えるって、その人の個性に合っているからだと思うの。
そういう意味ではこのプログラムも「キダム」と同じくらい気になるプロでした。
どうやってまとまっていくのか、とっても楽しみ。
メドベちゃん。
今日、全部もってったのは彼女。
私は彼女の魅力に一気にやられました。
正直、試合で見るとどーもあのタノ連発が好きになれなくって、ちょっと敬遠気味だったんだけど、むちゃむちゃ可愛くて、ああ、可愛いは正義とか思っちゃった。
だって、セーラムーンだよ。
オープニングでその髪型で出てきたとき、あら、真似してる~、と思ったそれが伏線だったとは。
衣装もものすごく手が込んでたし、フィニッシュ可愛らしすぎて、死んだ。
しかもフィナーレでそーたとメドベちゃんが手をつないで突っ込んでくるショートサイドにいた私は至近距離であの可愛らしさに、もう、メロメロでした。
ぜひ、あのプロをエキシでやってほしいものです。
(ちなみに、ジャンプも結構、ガチでした)
最後は知子ちゃん。
実は、プログラムの詳細を覚えてない。
出だしから、あまりにも手の動きがきれいすぎて、スケーターなのに手ばっかり見てたよ、今日。
もともと安定感のある彼女にああいう表現力が加わってくる、と思うと楽しみすぎてしょうがない。
あまりにも手に注目しすぎてたので、明日はじっくりプログラム見るよ。
ということで、判断保留。
ゆづのいない寂しさはあるけど、今シーズンもみんなが私を楽しませてくれる予感しかしなかった。
たいてい初日はどーっと雰囲気にのまれるので、じっくり鑑賞するのは明日からです
今日はこれから圭くんのテニス見ます!
まだまだ夜はこれから。
【雑感】君がいた場所 いない場所
FaOI神戸を見に行った。
とてもいい席だったし、皆さんのパフォーマンスも素晴らしかった。
両日とも、あっこちゃんの黒鳥に鳥肌が立ち、ランビ様の福間さんとのコラボに身体があまりにも自然にも立ち上がった。
スタオベ以外に受けた感動を示す方法を欲しいと思ったくらい。
織田くんのストームは現役を彷彿させるものだったし、フィナーレにクワドに挑戦してたし、すごいなぁ、と素直に思った。
幕張、札幌、そして、神戸。
どれもそれぞれ違って、新鮮さや、驚きもあったし、楽しかったし、ワクワクした。
でも、今日の最後の神戸はちょっと違っていた。
このショーのクオリティが高くなってるな、と思えば思うほど、
去年ここにいたゆづが、今年、ここにいないことが寂しくて寂しくて。
みんなのこんな素敵なパフォーマンスを見たら、俺も!とより凄いものを見せようとしてくれるんじゃないだろうか、と妄想まで飛びだす始末。
ひと通り妄想したあと、ああ、その瞬間は今は来ないんだということが切なくて。
ショーに出ない決断をしたことは、現役選手としてはごくあたりまえだし、それができてよかったと思っている。
もちろんその覚悟を持ってチケットも買ってるし、ゆづがいないから楽しめない、ということはない。
けれど、それと君の演技を渇望していることは別の次元の話。
あんな元気のない声を聞いたから、余計に切なくなったのかもしれないけど。
ショーを見終わった後、満足感よりも喪失感が襲ってくる自分に驚いていた。
ああ、私には、君のいない場所をつぶさに見続けることは苦しいことなんだ、ということに気付いてた。
いいものを見るたびに、こんな喪失感を味わうのか、という現実にプチ絶望感。
きっと、そうやって私はここを卒業していくのだろうとなんとなく受け入れることが出来た。
君のいない場所は華やかであればある程、苦しいのかもしれない。
ちょっとだけ早く、君がいるはずの場所に、君がいないことを体験して、なんとなく自分の未来が見えた気がして。
君がリンクを去る時、私もリンクサイドからお茶の間に戻るのだと思う。
少なくとも自分の熱量を維持することが難しいこと感じた遠征だった。
だから、あと少しの間。
君が発する圧倒的な熱量を感じていたい。
君の熱量が私のそれを無条件に上げるから。
足の怪我が癒えて君がそれを見せてくれることを待ちわびている。
ただ、待ちわびている。
残りの時間を感じながら。
【雑感】キミを待ちわびる日々
久々になんの予定もない週末。
ちょこちょこ部屋を片付けたり、うちでやるべきことを片付けたりしてて。
でも、まだ、ボストンのレシートはまだ、処理されずに束のまま。
あれから、もう、約2ヶ月が経とうとしているのに。
2015年-2016年、間の悪い私は何度も観戦に行きながら「SEIMEI」が完璧に演じられた瞬間に立ち会うことはできなくて。
壮絶を極めたチケット争奪戦と、スケジュールとの兼ね合いなので、仕方のないことなのですが。
だから、ボストンでは、SEIMEIをバラ1よりも楽しみにしていた。
笑顔で演技を終えるその姿を楽しみにしてた。
結果は、皆さんがよく、知っている通り。
私の思いはかなわなかったんだよね。
世界選手権の頂点に手が届かなかったことはもちろん残念だったし、完成されたSEIMEIを目の前で見ることができなかったのは残念だったけれど、シーズンにはこういうこともあるとことに慣れてきたのかもしれません。
大きな失望はありません。
今年もシーズンが無事に終わってよかった、とそう思っている自分がいます。
彼を応援するようになってから、平穏だったシーズンなんて、一つもありませんでした。
これでもか、これでもか、というくらい困難が襲ってきて。
環境の変化、怪我、事故、病気。
浮き沈みしながらではあるけれど、彼は結果を残し続けてます。
まだ、とらなきゃいけないタイトルがある、ということも彼のモチベーションになるのだと思うから、取り続けられないタイトルがあってちょうどいいくらいじゃない?と思ってたりもして。
ワールドが終わって、またもや怪我のニュース。
程度はその時にはよくわからなかったけど、FaOIの全欠場のニュースはあまりいい状態でないことを物語っているようです。
今はゆっくり治して、新しいシーズンに向かって欲しいと思ってるので、ショーで会えないのは残念だけど、じっくり待とうと思っています。
2018年の平昌オリンピックまで、もう、2年を切りました。
どんなに多くプログラムを見れても、もう、4本です。
ショートの持ち越しなんかを考えてたら、3本かもしれません。
最初にゆづが平昌オリンピックまで、と区切ったときは寂しい気持ちでいっぱいでしたけど、多分、今の彼の身体の状態や、取り巻く環境を考えたら、それが限界なのかな、と正直、思っています。
だからこそ、彼が決めたその目標にたどりつけるように、すべてをコントロールしたらいいと思うのです。
真面目だし、周りに気を使う人だし、きっと、ショーの雰囲気が好きなタイプだと思うから、ショーに出れないことは本人に取っても苦しいことかもしれないけれど。
ずっとずっと走り続けることができないことを本人も実感してるかもしれません。
最後はずっと意志の力でなんとか、ねじ伏せられる、って思っているところもあるんじゃないかな、と感じてたから、それではどうにもならないものを感じてくれたら、見てる方も、少しは安心できるのに。
(いや、そういうタイプでないと、分かってて言ってます)
どうせシーズンに入ったらまた超高速のジェットコースターに乗せられてしまうのだから。
君を待ちわびる時間はとても長く感じるけれど、静かに待とうと思う。
進化した姿でまた私たちを驚かせてくれるまで、あと数ヶ月。
きっとあっという間です。
(最近は、他のことも忙しいしねw)
【雑感】君が手に入れたものと、失したもの。 その2
彼の数々の勝利の大きな代償は、「自由」そのものな気がしている。
それは時間の自由もあるだろうし、好きなことをお話する自由だったり、
心の自由だったり、自分の思ったときに、思ったことを普通にできる自由が
彼からどんどん奪われていくな、、と思うのです。
ファンや一般の方のたくさんの目とわがままな思いなどが、彼があたりまえに生活する邪魔をするという構図になっています。
まだ、トロントを拠点にしているだけましなのかもしれないけれど、
ショーに出てるとき、試合に出てるときは様々な方法で追いかけ回される。
それがプライベートな時間であるにもかかわらず。
友達と外を出歩くなんてままならないだろうな、と想像はつく。
試合前という特殊な状況でもそれを判断できないファンに囲まれる。
海外観戦では特に旅の恥はかきすてという人も見かけることも増えた。
母数が増えたのだから、仕方ない、と思うけれど、ね、あまりにそれはどうなのだろうと思う行動が散見されます。
ルールを守らない人、応援している選手の心情や状況に思いを馳せることができない人がいます。
なぜ、そういうことができるのだろう、ね。
私たちが応援したいと渇望している選手はそういうことを嫌がる人じゃないのかな、と思うのに。
そんな風に自分の欲望を満たすために行動するファンと呼ばれる人たちですら、彼の「自由」を狭めています。
この「自由」を制限されることって人間として一番、苦しく、つらいことじゃないのかな、と私は思っています。
自分がそれを失うことを想像すれば、たぶん、ちょっとは想像つくはず。
とても窮屈な生活にも思える。
彼がアイドルだったり、プロアスリートとして、見られることを選択しているのなら、仕方のないこと。
でも彼は大学生で、アマチュアアスリートでしかないのにそれを求められている。
それでいいの?心配した時期もあったけども、彼はそういうものも含めて覚悟して、
今の場所に立ってるじゃないかな?と感じます。
スーパースターになったらどうなるか、きっとわかっていたと思う。
被災者代表のように扱われることで何が起こるか、想像できていたと思う。
いろんなことに見られることも織り込み済みで行動してるし、どこかで自分の言葉がどうやって受け取られるかを計算してるところもあるし、反応を見て、次の言葉を選んでいるところもあるかな、と見受けられます。
それは彼の強さであり、優しさじゃないかな。
自分を後押ししてくれる人たちを大事にしたいという気持ちなのかもしれない。
そこまで気を遣わせたくなんかないよね、本当は。
しばらくブログを書けなかった理由の一つには書き始めたら、上記のようなことを一つ一つ糾弾してしまいそうになるから、というのもありました。
納得の行かない行動に対して意見を言うことで不毛な争いになることを避けたいという気持ちもあったように思います。
ファンどうしでぶつかりたくないもの、基本的には。
私にとっては、テレビや週刊誌、雑誌などで酷く扱われることよりも、
「ファン」だと明言する人の、彼に対するあり得ない態度の方が納得しにくいし、
感情的に受け入れがいことなんだな、と感じるシーズンになりました。
彼がスケートリンク降りるまで私はそんな自分と葛藤しながら応援し続けます。
納得のいかないことには疑問を投げかけながら。
ほんの少しでも彼から何かを奪うことのないように。
キラキラと輝く時間をちょっとだけ共有させてもらうために。
「ファン」ってなんだろうね?
「応援」ってなんだろうね?
を考え続けながら。
【雑感】君が手に入れたものと、失したもの。 その1
(ちょっと重めの内容かも・・・。)
しばらくブログが書けなかった。
理由はたくさんある。
NHK杯、GPFと立て続けにものすごい演技を見せられて言葉を見つけられなかったという側面。
あまりにも仕事が忙しくて心にも体にも余裕がなかったということ。
文章を書く、ってそれなりにパワーがいるし、何か自分の中から感情がわき上がるにはそれなりの心の余裕がいるらしい、ということに気づく。
そもそもこのブログを最初に書き始めようと思ったときのことを思い出す。
他でもない、2012年の真駒内で競技観戦デビューした私。
予定でショートしか、現地で見れなかった。
テレビでフリーを見て、表彰式を見て、あまりにもその雰囲気に心が寒くなった。
初優勝した全日本。
冷え切った会場の空気。
勝った試合なのにすっきりとしない顔をしていた彼。
私は君を心から応援してるんだよ、と大きな声で叫びたかった。
いろんな人がいるけれども、君の活躍を見たいと思っている人もいるんだよ、と伝えたかった。
そんな風に思った私は応援ブログを書き始めた。
可能な限り現地観戦に行って応援するぞ、と心に決めた。
どんなに会場に君に期待していない人で埋め尽くされたとしても、私はずっと変わらず応援しようという強い意志だった。
海外観戦にまで行くことになろうとはその時は思いもしなかったけど。
あれから丸3年。
私にとっての4度目の全日本観戦。
状況は明らかに変わった。
2015年の真駒内はそれを私に実感させる大会だったのかもしれない。
試合のチケットを手に入れるのが困難を極めるほど、彼を応援する人たちがたくさん増えた。
会場を埋め尽くす、彼の演技を一目見たいと集まった人たち。
会場を埋め尽くすさまざまな思いの詰まったバナー。
羽生結弦は文字通りスーパースターになっていた。
ノーミスで世界記録を2度も更新し、その記録は300点を軽々と超え、彼に対応したルール変更が必要だとまで言わしめた。
いつかはやるだろうと思っていたけれど、こんなに完璧な形でを想像した人はファンでもいなかったような気がする。
彼のファンになって、初めて観戦に足繁く通うようになったとき、
普通の人に「フィギュアを見に行く」というと、たいていは「真央ちゃんを見に行くの?高橋くんを見に行くの?」と聞かれた。
私がオリンピックで彼がメダルを取るだろう、と言っても誰もピンときてなかった。
ソチでのメダル獲得が、去年の中国杯での事件からの活躍、
そして、今年の躍進が、どんどん彼の名前を世の中に知らしめた。
彼は平昌でもうひとつの金メダルを確実に手に入れるため自分の限界を超えようとさらに努力をしている。
スケートに真摯に向き合うアスリートだ。
その自分を進化させることへの貪欲さは驚くほど。
主要なタイトルを総なめにし、記録を塗り替えてなお、前に進む推進力。
「僕も人間です」と本人は言ってたけどね。
同じ人間です、というのがおこがましい、くらいです・・・。
もちろん、私たちに見えない弱い面もあるのだろうけれど、結果にこだわり、結果を出し続ける、したたかな強さが眩しすぎて、まるで、子供みたいな年齢の彼に憧れてやまない。
パフォーマンスももちろんだけれど、そういった人となりに惹かれて応援し続けている。
時間を経て、たくさんのものを手に入れた彼。
でも、得たもの同じくらい失ったものがあるのではという切なさも感じている。
「ブレイクするということはバカに見つかること(by 有吉さん)」という言葉を体現しているのではないか、と感じることも多くなった。
つづく
【NHK杯】マジカルモーメントがそこにあった 究極のバラード1番(SP)-2
バラード1番を初めてみたとき、また、ずいぶん、難しいのに挑戦するのね、と感じたことを今も覚えている。
ステップでピアノの音を取り切れてないのを見て、大丈夫かしら?と思ったのが2014年のDOIでの出来事だった。
GPFで構成は落とされたものの、このプログラムは一つの完成の形に近づいたんだな、と思っていた。
だけど、それはもしかしたら間違いだったかもしれないと思い直したのは、神戸で福間さんとのコラボを見たときだった。
この日に見たバラード1番のステップはそこまで見たどれよりも躍動的で、生き生きしていて、音楽とともに存在していた。
ライブの生ピアノとのコラボだったからという側面はあるのだと思うけれど、これはまだ進化できるプログラムなのかもしれないという予感があった。
あの苦しいシーズンのイメージで終わるにはもったいないプログラムだ、と。
だから、バラード1番が持ち越しだと聞いたとき、私はちょっと嬉しかった。
もしかしたらああいう色合いのバーラド1番が見られるかもしれないと期待していた。
スケートカナダで見たときは、そんなことを感じていたことを忘れるくらいの衝撃的な結果で、思い出しもしなかった。
NHK杯は彼にとってホームでの試合。
もちろんやりやすさもあるだろうけれど、それとともにプレッシャーもすごいのではないかな。
自分のファンがどっと押し寄せ、その瞬間を固唾を飲んで見守っている瞬間なんて。
自分だったら、武者震いどころではない。
ボーヤンの95点という点数を聞いても、私は今日のゆづが負ける気は全くしなかった。
今日はきっとあのソチオリンピックの点数を抜くつもりで攻めてくるに違いないと思っていたから。
静かに始まるバラード1番。
もう最初からどきどきしていた。
自分でも無意識なんだけれども、ゆづの演技を見るときはつい祈るように手を合わせている自分がいる。
上手くいってほしい、満足の行くできになってほしい、そう願っている。
4Sでこらえた時、どきっとしたけれど、何もなかったかのようにイーグルに繋げてみせる。
4Sがショートで入れられるほど、安定したことが嬉しかった。
ノートルダムに入れたときから、ソチシーズンまで何度も何度も外せと言われたエレメンツ。
4Tを2本跳んだ方がいいと言われ続け、首を縦に振らなかった彼。
そうやってこだわり続けたからここで決めることができる。
ショートにクワド2本を入れる構成を選択できた。
彼の選択はその時点では正しそうに見えなくても、ちゃんと未来につながっていることを実感できる。
羽生結弦はジャンプだけなんて言う人もいる。
私はあの美しいスピンを見て、どうしてそんなことを言えるのだろうといつも不思議に思っている。
軸のぶれない、速い回転の、そしてバリエーションにとんだ音楽を奏でるようなスピン。
その質感は現地で見るとさらに増す。
いつまでも見ていたいそのスピン。
そして、一番、心配だった4T-3T。
あまりにもあっさり決めてしまったので、それが羽生結弦が試合で初めて決めたコンビネーションだと言うことに気づくのに少し時間がかかった。
これでもう、ジャンプは大丈夫。
最後は鉄壁の3A。
それもむちゃくちゃジャンプの入りに凝ったもの。
もう、笑うしかない。
バラード1番はただ進化したというレベルでなくて、新しい色を重ねて別のものに仕上がっていた。
ステップの最後の方では会場が、いまか、いまかとその終わりのタイミングを待っているように見えた。
今日のプログラムで彼は自分自身の記録を更新するだろう、ということは簡単に想像できた。
フィニッシュの顔が怖すぎたのはご愛敬。
ボーヤンの記録を塗り替えてやる、というエネルギーがそうさせたのかな?
やっと、この美しいプログラムをノーミスで見られた。
想像していた完成形よりも遙かに高度な形で。
彼自身の記録を抜いた「106.33」という点数に驚くことはなかった。
最初の4Sがさらに美しく飛べたらもう少し、あがるのね、と冷静に感じてた。
もしかしたら、シーズン最後までに、4T-3Tは後半になるかもしれないね。
そうやって進化し続けることで、一番前を走って、走り抜けたいんだろうね。
進化し続けるスケーター。
ほんと、凄すぎる。
生きてるうちになんどこんな瞬間に出会うのでしょうね。
彼が現役のうちにまだそういったシーンをいくつも見せてくれる気がする。
だから、彼のファンでいることをやめられない。
【NHK杯】マジカルモーメントがそこにあった 究極のバラード1番(SP)-1
NHK杯を前に衝撃的なニュースを耳にする。
彼がショートの構成をクワド2本にしたというニュースを聞いて、私は笑いが止まらなくなった。
まさかとは思ったけど、あのスケートカナダでの悲劇を受けて構成を上げてくるとは。
そのニュースを聞いて、私の脳裏に浮かんだのはスケートカナダでのEXの練習の風景。
何度も何度もイーグルからの4Tや4S、そしてクワドからのコンボを跳んでいた。
もしかして、エキシでやるのかな?と思っていたのだけれど、そういう気配もなく。
ああ、あれは、準備だったのか、と何となく自分の中で腑に落ちた。
まさに羽生結弦らしい。
スケートカナダのパトリックチャンの演技のに負けた結果、ファンの間でも、ショートでクワドを後半に跳ぶ理由はないんじゃないかとか、表現力でカバーできるからクワドへの挑戦は必要ないんじゃないかという意見も見受けられた。
それは今年、勝つという意味では正しい戦略なのかもしれない。
でも、私はゆづがやっていることが無謀だとはみじんも思っていなかった。
Twitterにも書いたけども、これは彼が平昌で金メダルを取るための伏線。
本来だったら、この挑戦は去年、完成しているはずだった。
そして彼は今年は次の挑戦をする予定だったのだと思う。
そう、SPクワド2本というチャレンジ。
後半クワドとSPクワド2本という課題を一気に乗り越える選択なのか、とふと思った。
(実際にはクワドは2本とも前半でしたが)
パトリックが構成を落として戦ってきたのは、それでも勝てる、と思ったからじゃないと私は思っている。
休養シーズンのあと、1戦目ではこの構成しか選択できなかったのだろうと思っていた。
もちろんそれを完璧にこなしたパトリックには驚きしかなかったけど、このままで平昌まで勝ち続けられるか、と聞かれたら、私はNOとしか答えられない。
それを体現しているのが、中国のボーヤン・ジンだ。
彼はフィギュアスケートの未来を背負ったスケーターの一人だと思う。
最初に彼を生で見たとき、クワドを3本跳ぶことには驚いたけども、なんだか、まだまだ、フィギュアスケートという感じではなかったのを覚えている。
でも、今年は違う。
ジュニアを卒業して、彼なりに新しい武器を手に入れ始めている。
そう、今年の彼は2011年の羽生結弦だと思ってもおかしくない。
彼が平昌までの時間にいまのジャンプ技術のほかの要素を磨いて恐ろしい勢いで追いかけてくるのだ。
中国杯で軽々と決めたクワドルッツを含む彼のプログラムは関係者を驚愕させるのに十分なクオリティだったと思う。
スケートカナダを経て、そしてグランプリシリーズの他の選手の動向を見て、彼がSPクワド2本の選択をしたのは、平昌まで誰にも負けたくないという思いが詰まったものだと私は感じていた。
さらに、公式練習でも調子がいいと聞いて、これが博打ではなく彼なりの勝算があっての選択だったんだろうと思っていた。
男子は全体的にできのいいSPだったと思う。
個人的には刑事くんのクワドが決まったこと、無良くんのプログラムがまとまったこと、そして、ボーヤンがほぼノーミスで滑りきったことが印象に残っていた。
ボーヤンの点数をみてゆづの闘志にさらに火がついたことは後で知る。
6分間練習の様子を見ても、今日はきっとやってくれる、という確信が私の中にはあった。
つづく。
【SC番外編】クワド1本構成でもパトリックは勝ち続けられるのか?
※Twitterでつぶやいたことをまとめておきます。
これから書くことは私なりの分析で私なりの意見です。
もちろん反論も異論もあるでしょう。
言葉に残そうと思った理由は、自分が思ったことや感じたことを書くことで、
凸られるのが嫌で言えなくなってしまったたくさんの人達を見てきたから。
語気の強い一部の意見だけが、その界隈のメインストリームだと思われるのも何か違うと思っているから。
黙ってれば叩かれないこともわかってるけどねw。
今年、パトリックがクワド1本で勝ちきれるか?と聞かれたら、答えは決まっている。
ノーミスで、すべてのジャンプとスピンでGOEを稼ぐことができる出来栄えだったらか、
他の選手の自爆待ちならね、というシンプルな回答になるかな。
今はまだシーズン前半。
たとえ休んでいたとしても、何年も何年も同じジャンプ構成で新しいジャンプにトライせず、自分のできることをやるのであれば、シーズン前半でもまとめることはできるでしょう。
彼はバンクーバーの後、クワドを入れた後は、それほどジャンプ構成をあげていません。
ソチシーズンGPFでゆづに負けた後、構成を上げないとオリンピックで勝てないんじゃという論調の中でも上げる気配はありませんでした。
結果は知っての通り。
これから彼が構成を上げる(少なくとも今シーズン)ことはないのかもしれません。
振り返ってゆづ。
今年はSPで後半4回転、FSはクワド3本、1本は後半へ挑戦します。
プログラムを見てわかったと思うけれど、さらにジャンプへの助走を短くしてGOEを稼ぐ戦略です。
もしかしたらモノにならないかもしれない、とは私は思ってません。
オータム、そしてスケカナを見て、彼はこれを実行するために何をすればいいのかを試合を通じて課題として捉えているでしょう。
昨年はちょっと例外として、過去の例を見てもそのシーズンの課題を盛り込んだプログラムを作って、それをこなすことで成長してきた選手です。
今年がここが最高点ではない、と思っています。
パトリックが得意とする得点の仕方はGOEを積み上げる、PCSで他を引き離すという戦略です。
でも、どちらも満点が決まっていてそれ以上の積み上げは出来ないのです。
だけど、TESのBVは違う。
確かにステップやスピンでは上位選手は差がつきにくいけれど、ジャンプは違う。
ゆづがクワド3本、アクセル2本を跳ぶことで、パトリックに大きい差をつけることが出来ます。
そしてパトリックはその点数の差分をGOE/PCSで稼がなければいけないのです。
今回はそれが出来た大会でした。
SPではどっちも悪かったので、ちょっと、置いておいて。
どうしても、ゆづとパトリックの対決に焦点はあたってしまうけれど、パトリックの敵はゆづだけではありません。(ゆづにとっても同じですけどね)。
そして、ゆづはソチが終わってから、そのシーズンをどう勝つかではなく、平昌で勝つために自分は何をして行ったらいいか、と常に考えている気がするのです。
シニアの選手はもちろんですが、ジュニアを見ていても素晴らしい選手が沢山います。
さらに、彼らは知っています。
PCSが高い選手に勝つためには、TESのBVで、願わくばGOEを重ねて勝てばいいと。
それはソチで羽生結弦が実践したこと。
勝ちたいと思う若い才能はそこに力を入れてくるでしょう。
それはすでに書いたので割愛しますが。
私はパトリックがこのまま仮に4Tを一本増やしても、平昌まで同じ構成で勝ちきれるとは思っていません。
パトリックが平昌で勝ちたいと思うのなら、もっと違う戦略が必要だと思っています。
そして、どこかでそんな闘いは見たくないと思っている自分もいます。
全く進化のない4年を過ごして、そのレベルで金メダルを取れる競技だなんて思いたくないのです。(まったく個人的な意見ですが)
驚いたのはFSでクワド3本、トリプルアクセル2本を試合で跳んだのは、ゲーブル以来とのこと。
ゲーブルが2008年に跳んだ、構成を調べたら、3Lz、4S-3T、3A-2T、4T、3A、4S、3F、3Loとのこと。
コンボが足らないけれど、今でも十分勝てる構成ですよね。
あれから、もう7年も経っているのに。
それは皆さんも知っての通り、ルールが一度、進化を止めさせる方向に進んだから。
4回転を跳ぶよりも、3回転でまとめたほうが勝ちやすくなったから。
それは退化だと思います。
確かにジャンプ以外のところが進化したという側面もあるのでしょうが、
なぜ、ジャンプは進化しなくていいと思われたのでしょうか?
理由はわからないけど、フィギュアがオリンピック競技であり続けるためには、
スポーツとして位置づけられるためには、私はジャンプの進化は必要だと思っています。
そして、羽生結弦という選手はそれを自分で体現したいと思っているのでは、と感じています。
彼はフィギュアスケートの未来を見たいんだと思うし、それを見せてくれる人だと思うから、応援に力が入るのかもしれません。
もちろん限界はあるとは思いますが、進化しないスポーツなんて、面白くないよ。
そんな風につまらなくなって欲しくないと思うから、パトリックにもぜひ進化して欲しいし、予定調和でなく、私たちをびっくりさせて欲しいと思う。
次のゆづとの決戦では同じ戦略では勝てないよ。
さて、どう戦うのかな?