【雑感】静寂の中の情熱
最後に氷上で彼を見たのは12月末。
あれからほぼ3ヶ月。
ぱらぱらと情報は出てくるものの、どれが信用できるのかわからない状況。
本当はいつ退院したのか、いつから練習できているのか、捻挫の状態はどうなのか、
そもそも、どこで練習していて、どんな心持ちでいるのか。
何も今は分からない真っ白な状態。
便りがないのがよい便り、と思いたい今日このごろ。
本当に彼のマネジメントは優秀だね。
情報を統制しておくのはとても難しいのに。
オリンピックチャンピオンとして有名になった彼。
熱狂的というより、狂信的なファンがどこまでも彼を追いかける。
もうそれはアスリートに対する行動とは思えない。
苦言を呈したところできっとそういう人たちが変わらないことは分かっている。
それは応援ではなく自分を満足させる行動。
そういう発想のない人に言葉をかけるのは無駄だと知っている。
だからこの3ヶ月間、情報が表に出なくてよかったと思う。
もちろん心配は絶えない。
世界選手権を前にどんなコンディションで何をしているのか?
私たちにどんなプログラムを見せてくれるのか?
そもそも元気なの?
スケート楽しんでる?
こういう静かな時間を私たちが過ごせるのもあと少し。
来週の今頃には上海入りのニュースが入るでしょう。
それまで首をなが~くして、待て、ということなんだよね。
彼の世界選手権はいつもドラマチック(いや、人生そのものがドラマチックだけど)。
「世界を狂わす17歳」に惚れ込んだ2012年。
しばらくショートの映像をリピートできなかった苦しい闘いだった2013年。
さいたまアリーナでのまっちーとの死闘にハラハラした2014年。
ほら、そんなことばっかりだよ。
だから、どんなことが起こっても目の前でそれを見届ける覚悟はできている。
「羽生結弦」の挑戦も覚悟もよく分かったシーズンだったから。
あの事故の起こった会場で最後に笑って終われるシーズンになるように祈るしかない。
祈りながら、美しいバラード1番や力強いファントムが見れることを楽しみにしてる。
この静寂の中で新しい壁の向こうを見るためのパワーを溜め込んでいるに違いない。
この静けさにはきっとキミの情熱が隠れている。
あの会場で、あの気迫のファントムを超える演技が見れたら、思い残すことないかな?
いや、それは多分、ない。
数分後にはもっと凄い彼のプログラムを見たくなっているな、多分。
さて、上海行きの準備をするか、な。
【雑感】羽生結弦の進化と採点について
おかげで私はルールの勉強やエレメンツの勉強に力が入った。
たった2年しか真面目に追いかけてないとは思えないほど、詳しくなった。
それがいいことかどうか、自分でも分からないけども。
ひとつ言えることがある。
大きな声で文句を言っている人の多くはルールを知らない。
中にはルールを熟知した上で、異論を唱えている人もいる。でも、それはごく少数。そして、それは誰かの点をどうにかしろという話ではなくフィギュア全体のことを考えてのこと。
なぜ、って。
佐野さんも言っていたように彼の強さの一つはジャンプ構成の強さにある。
これを落としたというのだろうか、とその発言に笑ってしまったのを覚えている。
そして、ジャンプの種類を見るとよく分かるけれども、ジャンプの種類もルール変更にどんどん対応している。
ハーフループからのコンビネーションはソチシーズンから取り入れている。
今年はダブルジャンプを飛ぶ回数にも制限が加わった。
2012年までのゆづの構成だったら影響を受けたと思うけれど、それは2013年にすでに克服している。
さらに彼の凄さはクワドが2種類跳べることよりも、3Aの安定感。
4Tのつもりが、2Tなんてことになると、10.3の基礎点が1.3になる上、コンビネーションで、2Tが跳べなくなって、ザヤってしまう可能性まで出てくる。
回りきって転ぶことの方が見た目はさておき、点数が取れるのがいまのルール。
全日本を振り返って、こづとしょーまとのジャンプ構成と比べてみる。[予定構成]
- スケート技術 (Skating Skills)
- 要素のつなぎ (Transitions)
- 演技力/実行・遂行力 (Performance/Execution)
- 振付け (Choreography)
- 曲の解釈 (Interpretation)
全日本雑感【男子全般】
全般と言いつつ。
後は自分の印象に残った選手を何人か。
しょーま。
いや、驚いた。
シーズン始まる前、しょーまはいいんだけども、ジャンプがね、とみんなが思っていたはず。
ジュニア最後のシーズンにまさかあんな短期間で3Aも4Tも習得して、当たり前のようにプログラムに入れてくることは想像できなかった。
安定感はシニアのお兄さん達より凄かった。
ピョンチャンのメダル候補と言っても言い過ぎじゃないと思う。
ゆづとのトップ争いがとっても楽しみ!
来年はもう1種類のクワドに挑戦するとか。
ワクワクするね。
そーたくん。
ショートもフリーも3A以外はほぼ完璧。
もちろん表現の部分ではもうちょっとかな?と思うところもあるけど、14歳と思えば素晴らしい。
スケーティングのスピード感もいい。
来年はそーたくんを見にジュニアの大会にも行きたい!
どんな風に進化していくのか、本当に楽しみ。
岩手の佐藤くん。
雰囲気が明るくて、織田くんを彷彿させる演技でした。
季節リンクでしか練習できないと聞いたので、そんな中で頑張っているのは凄いな~、と。
ジュニア世界選手権に出られるらしいので頑張って!
ダイス。
NHK杯の覚醒ぶりを見て、期待してた。
たぶん、彼自身も自分に期待してたんじゃないかな?
最終グループでフリーを滑る彼はいつものような明るさというか、軽快さがなかったような気がして。
ちょっと残念だった。
でもね、四大陸選手権に出られる。
まだ進化をするチャンスができたね。
いつもにこやかな笑顔に癒されてます。
それと、ダイスの4Sが好き。
ムラくん。
今年のプログラムはどっちも好き。
だからまとまりきらなかったのが残念だった。
でも、悪い時もそこそこで収められるようになったのが今年の収穫じゃないかな?
クワドの確立もあがったよね。
ファントムの白手袋がとってもお気に入り。
今年のたくさんのオペラ座のなかでは一番、正当派のファントムだった気がするよ。
まっちーからもらったチャンス、是非生かして、世界選手権でも頑張ってほしいな。
そして、こづ。
フリーの日、私を泣かせたのは彼だった。
(もう、泣いてばかりの全日本だったよw)
ショートの失敗を見て、奮起して欲しい、と心から願った選手の一人だった。
こづにはこのまま終わって欲しくなかった。
フィギュアが分かるようになるにつれ、こづのスケーティングの素晴らしさが分かるようになった。
素敵なスピン、何杯でもご飯を食べれそうなイーグル。
ジャンプさえはまれば、と何度、思ったことか。
こづが出てきて、会場中が彼を見守っている温かい空気があった。
私と同じように思っていた人も多かったと思う。
何とかクワド2本を着氷して、怪しそうなジャンプも絶対転ばない、という意志が伝わる演技だった。
そして、彼のガッツポーズ。
あんなに感情を露にした彼を見たのは初めてだったと思う。
最後のスピンのころから涙があふれてきた。
素晴らしい演技だった。
要素のひとつひとつを見れば確かに満点ではないけれど、ここで結果を残したい、いい演技をしたいという気迫が伝わってきて、応援せずにはいられなかった。
たぶん、この日、一番のスタオベはこづにむけたものだったと思う。
それでよかったと思った。
こんなを目の前でみれて本当に幸せだった。
表彰台に乗れてよかったよね。世界選手権でも素敵な演技を見せてね。
番外編。
ショートのとき、GoodLuckというドラマの曲で滑った小沼くん。
まったく知らなかったけど、そのプログラムの世界観にとっても惹かれた。
第一グループで唯一スタオベされてた男子だった。
エレメンツの難易度が高かった訳ではないのだけど、そのまま空に飛んで行ってしまうのではと思えるような雰囲気のある演技だった。
普段、あまり見ることのできない選手を見ることができるのも全日本選手権のいいところだと思う。
これが最後の全日本だと聞いて。
このプログラムが見れてよかった。全日本選手権で披露してくれてありがとう。
他にもたくさんたくさん感じたことはあったけども、いろいろ衝撃過ぎて飛んじゃったところも。
競技の観戦はとっても楽しいんだけども、体力も、気力も奪われる大変な趣味だなを実感する全日本でした。
全日本雑感【町田樹という奇跡】
いろんな驚きがあった全日本だったけども、やっぱり一番の驚きはまっちーだった。
ブログにも何度も書いた通り、ゆづを追いかけて行く中で現地でパフォーマンスを見るたびにまっちーの演技が好きになった。
特に去年のショートプログラムの「エデンの東」は何度も何度も見たくなるプログラムだった。
世界選手権のとき、あのまっちーに負けるのなら仕方がないと素直に思えた。
2人の得点の差はジャンプ構成の差でしかなかったと思う。
その後のインタビューでのやり取りを見て、今年もそういうワクワクした試合が見れるのだと期待してた。
だけど、結果はみなさんも知っての通り。
GPFの時から少し様子が違っている、と感じていた。
負けていることがちっとも悔しそうじゃないんだよね、表情を見ても。
あの時はいろいろと重なってたからかな、とも思っていた。
素晴らしいできただったショートのとき、なぜ、彼の目が潤んでいるのか分からなかった。
彼のポテンシャルなら、あのくらいは普通に出来る結果だし、いい演技だったし。
この時も、もう、いろんな覚悟をしてたんじゃないのかな、と終わった後だから、感じる。
最後の「第九」。
そう思って、見ればよかった、と何度も思った。
すべてをその場でつぶさに見つめたつもりだったけれど、たぶん、覚悟のないまま見ていた。
そして、ふと感じていた。
まっちーが勝つことを目的としてこの第九を滑っていないのでは、ということ。
跳べなかったコンビネーションをリカバリすることなく演技をし終えた彼を見て、違和感しかなかった。
もちろん作品の完成を常に口にしていたけれど、それは勝つことも含めてだと思っていたから。
「第九」は未完のまま終わったプログラムになった。
それでも、ジャンプ以外では彼が伝えたかったことは十分に形になっていたような気もする。
欲張りな私たちはジャンプも含めたこの作品の完成を見てみたかった、と今でも思うけれど。
録画で演技を何度も見返すくらい、ジャンプだけではないプログラムの質の高さがそこにはあった。
いつから彼がこの結末を用意していたのか私にも分からない。
でも、去年の白夜行のことを考えれば、彼が第九を春にやろうと思っていなかったのかもしれない、とそういう考え方もある。
きっと、私はそう思いたくなかった。
もっと彼の舞台を見ているような演技を見続けたかったから。
ギリギリのところで争う羽生結弦と町田樹を見たかった。
もう、かなわないことだけれども。
MOIの日は最前列。
とてもいい席で、製氷後の綺麗な氷にまっちーのスケーティングの綺麗な軌跡だけがあった。
すべての動きを見逃すまいと、一生懸命にその姿を見守った。
涙は自然にこぼれた。
その涙に自分が驚いていた。
そして、この姿がもう見れなくなる、ということが信じられなかった。
ある意味、私は贅沢だったと思う。
町田樹という選手の一番、いい時期をしっかりと現地も含めてみることが出来た。
そして、最後の瞬間をこうして目に焼き付けることが出来た。
フィギュアスケート界において彼の存在は稀有な、そして、奇跡的な存在だったと思う。
似た者のない「町田樹」という個性が大きな輝きを放つ存在だった。
ありがとう、まっちー。
素敵なプログラムを演じてくれて。
これからの新しい道で満足のいく結果がだせるよう心から祈っています。
そんな涙ぐんだ顔をテレビに抜かれたことも思い出として覚えておきます。
・・・もっとカワイイ若い子を抜いてくれたらよかったのに・・・。
全日本選手権【羽生結弦の戦い】 〜意地は男の子と最後の砦〜
今年の観戦の締めくくりは長野。
仕事で今年は何度も行った場所だったけど、観戦で行くと、ちょっと違った気分。
観戦仲間とおいしい蕎麦を食べるところから始まる。
事前に寒いと聞いていたけれど、実際についてみるとそうでもなくて。
私にとってはちょうどいい感じだった。
全日本参戦は3度目。
羽生結弦を追いかけてきた歴史に重なる。
Twitterでも書いたけど、最初に真駒内に行ったとき、男子の最終グループのメンバーしか、正直、よく分からなかった。
見たのはショートだけだったので、30人も滑るんだ、ということが衝撃的で。
トップ選手と言われる人たちがどれほど凄いかも、その違いを見て感じてた。
でも、今年は滑走順を見てもたくさん楽しみな選手がいる。
それがこの2年間の私の収穫。
ゆづが一番に好きなことは変わらないけれども、他にも気になる選手が増えていく。
この人の演技が見たいという選手がたくさんいる。
もし、ライトなファンのままでテレビでしか見ることしかしなかったら、きっと気づけなかったこと。
そう思うと、彼が私の世界を広げてくれたということ。
ショートの日。
6分間練習を見て、少し安心。
すべてに余裕があるように見えた。
バラード1番はゆづのスケーティングの進化を見せてくれたプログラム。
音楽表現が難しすぎるかな?とも思えたけれど、それが今年のひとつのチャレンジだったんだね。
落ち着いた演技がゆづの表現の幅を広げたと思う。
静かなプログラムの難しさを感じた中国杯。
上手くパーツが嵌らないと、どんどん曲に置いて行かれる。
それを見事にこなしていた。
最終的にジャンプ構成が後半に4Tが入るのかどうか分からないけども、これが完成したらどうなっちゃうの?と思うくらい、GPFとこの全日本で完成度が上がってきた感じ。
ジェフ、やっぱり天才。
これをゆづにやらせようと思ったところが。
ただ、ジャッジが厳しくてスピンがレベル3だらけに。
確かに足らなかった。
それを忘れさせるほどの演技だったけどね。
そして、「オペラ座」。
GPFの演技を見た後だったので、期待感は恐ろしく高い。
でも、6分間練習の様子を見て、何かがおかしいことに気づく。
あまりジャンプの練習もしてなかったし、何度もオーサーのところに行っていた。
これはヤバイゆづのフラグ。
前日とあまりに様子が違っていて何が起こったんだろう、と。
また、苦しい彼の演技を見なければ行けないのか、と少し覚悟をしていた。
そして、冒頭のクワドサルコウ。
これが出来ないことは驚かなかったけど、スピンでぐらついたときにはもう気が気じゃなくて。
祈るしかない気分に。
しかも、スケーティングのスピードがGPFほどないのもよく分かった。
どんどん心配な気持ちが沸き上がる。
ここからのゆづの演技は凄かった。
ひとつもミスをしない、という気迫と意地が伝わってきた。
本当に、これが、羽生結弦だね。
ここでちゃんと結果を残して、次へ進みたかったんじゃないかな?
終わったあともお腹に手を当てていて、おかしいな、と思ってた。
だから、病気の発表があったとき、驚かなかった。
本当にシーズン前半は満身創痍で戦い抜いたんだと、その事実に感動すらしていた。
そして、このタイミングを選んだことも彼らしいと。
もちろん結果は分からない。
病状によっては難しいかもしれない。
でも、彼がこのタイミングを選んだのは世界選手権に行きたいからだと私は思う。
そして、バラード1番、そして、このファントムを仕上げたい、そう思っているだろう。
もう、私たちに出来ることは見守るだけ。
それが、2014年の羽生結弦が私たちに教えてくれたこと。
そして、その覚悟があるかを問われたシーズン前半だったと思う。
でも、今年の全日本選手権の主役はゆづじゃなかったね。
それは、別にじっくり書こうと思う。
お疲れ様でした。
そして、渾身の演技をありがとう。
一日も早く回復して、大好きなスケートが出来ることを祈ります。
グランプリ・ファイナル 王者の復活劇 2
ライブストリーミングでフリーの演技を見る準備をしてた。
今日は一人ではなく、観戦仲間と私の家で観戦。
もしかしたら一人で見るのが少し怖かったのかもしれない。
中国杯であの瞬間に一緒にいた仲間だからこそ、この瞬間に一緒に居たかったのだと思う。
今でも、あの衝撃が薄れることはない。
フィギュア観戦を続ける限り、6分間練習をヒヤヒヤしながら見るだろう。
本人もそれを乗り越えようと前を向いているのだから、ファンがそこから逃げる訳にはいかない。
ハビの国、バルセロナ。
熱狂的なハビのファンの声援。
でも、映像で見た限り、ゆづへの声援も凄かったと思うよ。
日本から応援に行った人もたくさんいたよね。
私もいろんなモノが許すなら、行きたかった。
でも、テレビの前にいても応援する気持ちは1ミリたりとも変わらないよ。
前日のショートも見ていたし、公式練習のレポートをツイッターでちらっと見ていたので、今日は大丈夫だろうと思ってた。
ゆづがNHK杯の時に、置き忘れてしまったものは「自分を信じる」ということ。
練習時間のない中で自分がやってきたことを信じられなかった、そういうこと。
あの時にも書いたけども、あんなにオーラのない彼がそれを物語っていたと思う。
だから、大丈夫。
オーサーが作ってくれた練習メニューが自信を取り戻させてくれたんだろうな、と。
ショートプログラムの結果からみると他の選手の結果はとっても意外だった。
特にまっちー。
確かにショートからなんか疲れてるかな、と感じたけれど、まさかあそこまで崩れるのは想定外。
しばらくあれほど崩れる彼を見たことがなかったし。
まさか、それがいろいろなモノへの伏線だったとはそのときは思いもしなかったけれど。
リンクに出て行くゆづ。
もう、その姿はNHK杯とは違っていて。
私たちがよく知っている羽生結弦だった。
冒頭のサルコウが決まった瞬間から、もう、凄いことが起こる予感しかしなかった。
クワドトウの着氷と、音楽がぴたっと合っていたのを見て、これが彼の真骨頂だと。
シェイリーンの振り付けは、ゆづに合ってる、と最初から感じてたけど、これは凄い。
オリンピックの次のシーズンに滑ってしまうにはもったいないいいプログラムだな、とどんどん感じるように。
ようやくこのプログラムの全貌が見えてきた。
中国杯やNHK杯では見れなかったそのすべてが。
ニースでゆづに嵌ってから、やっぱりあの年のロミオが一番好きなプログラムだった。
どんな素晴らしいものを滑っても、心はそこから動かない気がしてたけど。
これは、ホント、私好み。
この「オペラ座」がニースロミオを超えた瞬間だった。
オーサー、トレーシーそしてシェイリーン、このプログラムを作り上げてくれてありがとう。
中国杯から辛いことばかりだったはずなのに、こうして素晴らしいプログラムを見せてくれてありがとう、ゆづ。
彼がこれをみんなに見せたかったことがよく分かる。
ゆづらしい、そして、深くて優しいピュアなファントムを見せてくれてありがとう。
後半のトリプルアクセルのコンボが綺麗に入って、勝利を確信した頃から、いろんな思いが頭をよぎった。
この1ヶ月半、彼がどれほど、辛い思いをしたか。
身体のことも、そして、いろんな意見にきっと心を痛めたことも。
彼はきっと思っていたに違いない。
それに答えを出すためには自分が演技で結果を見せるしかないと。
そして、それをスペインの地で成し遂げた。
すべてが君らしいけど、やっぱり、私は泣いたよ。
友人と抱き合って。
演技の素晴らしさと、君の思いが成就したことが嬉しくて。
最後のルッツは神様からの贈り物。
神演技はワールドまでとっておこうという粋な計らい。
と、この時は思っていた。
グランプリ・ファイナル 王者の復活劇 1
グランプリファイナルが始まった。
ジュニアの大活躍を見ながら、不安は拭えなかった。
あのNHK杯からまだたった2週間。
できることなら行きたかったバルセロナ。
12月が〆づきの私の会社ではその選択は難しかった。
しかも日本ではライブ放送がない。
今年はIcenetworkの有料会員になっていてよかったと思う。
とは言っても、通常はIcenetworkはジオブロックがかかるので、普通にはアクセス出来ない。
ショートの時も、フリーの時も1時間近くをプロキシ探しに費やす。
それでも、比較的安定した画像で競技を見ることができたので、お金を払っている意味はあったと思う。
もちろん、放映権を持っているテレビ朝日にはもちろんライブでやってくれたらいいのだけれど。
バルセロナに入ってからの、ゆづの練習映像を見て、今度はもしかしたら、と、少しは期待していた。
クワドの回転のスピードアップと軸が細くなっているのが見て分かるほどだった。
取り戻しつつあるんだな、と感じることができた。
シニア男子の前にジュニア男子のフリーのしょーまを見て、私はやっぱりな、と思ってた。
しょーまがクワドとアクセルをものにして、シニア顔負けの高得点でジュニア王者を手にしていた。平昌オリンピックでゆづの連覇を阻むかもしれないライバルの一人になる予感がひしひしとしていた。
ほら、ゆづ、後ろから、貴方がそうしてきたように、若い選手が追い上げてくるよ。
それを見てどう感じているんだろう。
ショートの6練を見ても、クワドもアクセルも安心してみていられた。
後はお散歩ルッツが帰って来てくれるかどうか。
彼のルッツは時々、お散歩する。
跳び上がった時に上体が前傾姿勢になるときはとても危険。
調子のいい時はそれにセカンドジャンプをつけるけれども、ヒヤヒヤしながら見ることになる。
スタート位置についた彼の顔を見て、今日は大丈夫、そう思っていた。
この日の羽生結弦は自らショパンの旋律を奏でるような滑りで私たちの心配を払拭してくれていた。今シーズン、試合で始めて決まったとは思えない素晴らしいクワドトウ。
私を魅了してやまないジャンプがそこに戻ってきていたのだ。
カウンターからのアクセル、そしてイーグルへの流れもとてもとても美しかった。
ショパンのバラード1番はとても難しい選曲だと思っていた。
音楽が引っ張ってくれるプログラムではなく、音楽とシンクロしなければならないそれ。
一つのピースがかけるとどんどんバランスが悪くなっていく。
それは前の2つの試合を見て感じていたことだった。
けれどこの日は彼が音楽を奏でているような滑りだった。
最後のルッツのコンビネーションは決まらなかったけれど、復活を感じさせるのに十分な出来だった。
よかった、ここまで戻せたんだ、という安堵感でいっぱいになった。
そして、転倒したにもかかわらず笑っていた彼。
演技が終わった時に舌をだす余裕があった。
キスクラでも終始、笑顔だった。
彼らしい滑りが戻ってきたこと、そして何より笑顔が見れたことが嬉しくて。
中国杯、NHK杯で自分の中に溜め込んでいた負の感情が溶けていくような気がしていた。
このグランプリファイナルで彼が復活して勝利を手にして欲しい、
彼が望む表彰台の一番上に立たせてあげたい、そう考えていたけれど、
彼が楽しそうに滑っている、それが何よりも尊いものなもかもしれない、とも思えていた。
いつものように滑れることが本当に嬉しいんだなというのが全身から伝わる演技だった。
TESカウンターが50点を超えていたので、ああ、これは90点台がでるな、とすぐにわかっていた。
本人はちょっと驚いたようだったけれど。
スピンも、ステップもレベルが取れていたから当然の結果だと思う。
あとでヴォロノフがノーミスだったのにゆづの方が点が高かったのはおかしいという人が意見が出ていたことを知った。
まだ、転んだら致命的だと思っている人がいることに愕然とする。
ジャンプ一つとっても、ただ跳べばGOEがつくわけではないことはルールを見ればよく分かる。
GOEが高くつくための要素を満たしていたかが重要なわけで。
同じクワドを跳んでも、ただ跳んだ、と素晴らしく跳んだには2点~3点の違いが出る。
しかもどこで跳んだかによって、ベースバリューが違う。
ゆづはトリプルアクセルを後半にしかも難しい入りから完璧に跳ぶことによって、そこでも、他の選手と差をつけようとしている。
点数は積み重ね。
ひとつひとつのエレメンツの質をどれだけあげられるか、で結果は大きく違っている。
私はヴォロノフさんも好きだけれど、彼が点数を出すためにはもうちょっと、3Aの助走を短くして工夫するとか、そういう事が必要だと、分かるようになった。
2年もドハマりして、沢山の選手を見て、プロトコルの疑問をひとつひとつ紐解き、教えてもらってくれば、だいたいは分かるようになる。
ルールが難しすぎて分からないというのは詭弁だと私は思う。
確かに分かりづらい。
私だって最初はまったく点数がどう出るか分からなかった。
GOE、なにそれ?という感じだったと思う。
それでも選手はルールに則って、0.1点でも多くかき集めて、勝ちたいとそう願っている。
そのために多くの時間を費やして、苦しい練習をこなしているのに。
それをただ見ているだけのファンが、難しすぎてわからないけど、何かおかしい、なんて、
言葉にする必要はあるのだろうか?
ただプログラムを見るのが好きなんで、ルールが分からなくていいと思う人がいてもいいと思う。
それなら、結果にいちゃもんなんかつけなきゃいいんだよ。
それを口にすることで何を得ようとしてるのだろう?
きっとドコまで行っても、私には理解出来ない。
そんな批判にもさらされるトップアスリートは大変だな、と思う。
つづく。
ファントムの涙 2
冒頭のサルコウが抜けたとき、やばい、と思っていた。
確かに、昨シーズン、ほとんどサルコウが着氷することはなかったけれど、回りきらなかったことはなく、その実行力に感服したほどだったのに。
たぶん、サルコウがダブルになったのは2012年のGPF以来じゃないかな?
次の4Tは3Tでしかも、転倒。
まさかこんな出だしで始まるとは。
私がゆづの競技を見はじめてから、こんなに儚げな彼を見たことがないんじゃなかな。
どんなにフリルの可愛らしい衣装を着ていても、中から湧き出る闘志がそれを凌駕するのが彼。
「フリルを着た阿修羅」なんて言われるくらいに。
気迫と、気合で、大きな壁を乗り切ってきたのだろうと思う。
私も呟いたし、あとのインタビューで本人も言っていたけれど「自分を信じきれなかった」結果なんだね。
直前まで綺麗に跳べていたのに。
後は無事にプログラムをこなしてくれることを祈ろう。
鉄板の3Aに狂いが出たのはザヤるのを恐れたからなのか、本当にパンクしただけなのか、本人に聞かないと分からない。
点数的を確保するなのに、どっちがよかったんだろうね。
4Tが想定外の3Tになってしまい、3A-3Tを飛んでしまったのでとアクセルか、ルッツの2本目を諦めなきゃいけなかった。
3回転の同じジャンプは2種類までしか跳べない。3Tでそれを使いきってしまった。
滑りながら構成変更を必死で考えただろう。
1点でも多く積み上げるためにはどうすればよいかと。
理系能の計算はできるタイプだもんね。
正解は分からない。
2A-1Lo-3S 、3Lz か、3A-1Lo-3S、2Aのどちらかだったんだろうね。
コンボ全体やジャンプそのものの配点を損なうことなく、跳びきった判断は凄かったと思う。
それでも普段の彼からしたら、その実行力が確実に落ちていることを感じる試合だった。
練習不足か、体力不足か、その両方か。
滑り終わった時、求め続けたファイナルへの切符が遠のいたことを感じただろう。
すさまじい思いをして、滑りきった中国杯を無駄にしてしまったと思ったかもしれない。
そうやってNHK杯のゆづ自身の闘いは幕を閉じたのだ。
満足のできない結果。
存在したのはNHK杯で両方のプログラムを滑りきった、という事実だった。
それがとても大きなことで、それをやりこなしたことで、羽生結弦劇場は、幕を閉じずに済んだ。
素晴らしいパフォーマンスだった村上選手、プログラムを何とかまとめた無良選手。
そして、遅咲きとも思えるヴォロノフ選手が表彰台に立つことになり、順位はひとつ上げて4位。
この時点でジェイソンを抜いて6番目でグランプリ・ファイナルに行くことが決まる。
本当にギリギリのラインで目標をクリアしたのだった。
本当に、本当に、私は複雑な気持ちだった。
ゆづのファイナルに行きたいという気持ちが叶ってくれたら、と思う反面、
ファイナルにいけなければ、全日本まで余裕を持って調整できるのに、という気持ち。
これは今も自分では折り合いがついていない。
(いいんだよ、私の気持ちなんてどうだってw)
彼はファイナルへの切符を手に入れた。
これを引き寄せたのはNHK杯の彼ではなく、上海での気迫とチャレンジにスケートの神様がくれたおまけなんじゃないか、とふと感じた。
このポイントでグランプリファイナルに出場できるのは2009年以来らしい。
彼を「何か持っている」と捉えることもできるし、「何かを成し遂げる人」だからこそ、
困難かもしれない道を選ばされていると捉えることもできる。
敢えて厳しい道を歩いたことで得たものもたくさんあるだろう。
そして、犠牲にしたものも。
それが羽生結弦という男が選んだスケート人生なのだろう。
男子の表彰式前に、キスクラで表彰台に村上くん、無良くんがインタビューを受けている時に、出てきたゆづ。
ヴォロノフと何か話し込んだり、メンバーを祝福したり。
自分に対しては、厳しい言葉でインタビューに答えていた。
怪我を言い訳はしなかったね。
実力不足と言い切った。
それを受け入れるのはとても勇気がいることだと思う。
言葉にして、表出化することで、自分に言い聞かせようとしているのか、とも感じていた。
もしかしたら、痛みはあったのかもしれない。
それが激痛だったのかどうかは本人しか分からない。
ゆづ自身も言っていたように、それでも中国では回りきれたのだから、痛みは理由ではない、と。
私もそう感じていた。
NHK杯のSP/FSを通して、彼らしいパフォーマンスではなかったと思う。
ジャンプの成否ではなく、プログラムを通して、羽生結弦らしい「ドヤ感」のカケラもそこには見られなかった。
何かに怯え、何かに囚われているようにすら見えた。
彼はそれを自分への「不信」と表現していたよね。
あの広いリンクに立ち、やるべきことをやり切るためには自分を信じなければ難しい。
彼はそれを痛感したのだろうか?
そんな状況でも彼は一歩も引こうとしていない。
「チャレンジャー」としてトップを狙いに行くと。
そんな心境まで回復できたことがよかったな、と思える。
後は自信をつけるための練習を積み重ねるしかないのだろうし。
ゆづは表彰台に上がる選手をひとりひとり祝福しながら、見送り、国旗が掲揚されるなか、君が代を口ずさみ、村上くん、無良くん、ヴォロノフが観客に祝福をされているのを後に、ひっそりとひとりバックヤードに消えていった。
自分のいない表彰台。
自分ではない日本選手が掲げた日本国旗に君が代。
そこに立って祝福することは苦しく辛いことだろう。
それを目に焼き付けようとしている彼の凛とした姿に私は涙した。
私を泣かせたのはファントムではなかった。
彼を応援したいと思える所以はこういう彼の姿にもあるのかもしれない。
涙はときに心の奥にある昇華できない思いを流し出す作用があるという。
私も彼と同じように涙に浄化され次を見据えていこうと思う。
GPFはスペイン。
リンクメイトのハビエルの国。
どんな気持ちでそこに向かうのだろう。
PJのデスノートからゆづの名前は消えたらしいので、これはチャンスかもしれないね。
母国でハビと優勝を争うゆづを見たい気持ちで今はいっぱいです。
ファントムの涙 1
11月が終わった。
私にとっても、怒涛のような1ヶ月だったなぁというのがしっくり来る。。
この1ヶ月、本当に彼の心配ばかりしていた気がする。
フィンランディア杯の欠場を聞いてから、その体調を心配し、中国杯の出来事でさらに心配ごとは増えて、今も続いている。
ゆづがNHK杯を諦めないだろうことは想定の範囲内だった。
上海で、あの状況で滑り切ったことを考えれば、この試合に出ずにファイナルを諦めることはないだろうと想像がついた。
その過程が私が思ったよりも過酷だったことは後で彼の発言から分かることになるのだけれど。
報道では構成を落として臨む、と連呼されたけど、極端に落としたわけではない。
ソチオリンピックの時と変わらない難易度。
勝負するつもりだっとことが分かる。
いくら彼がスーパーマンでも、この試合で勝つことは難しいだろうと思ったし、
勝ち抜くのは無良くんだと思っていた。
今年の彼は去年までの彼とは違っていたから。
ショートの6練に出てきたゆづを見て私は切ない気持ちになった。
ここまで来るのも本当に大変だっただろう。
滑っていることが奇跡だから、それでいいと思えたら幸せだったろう。
その佇まいに「羽生結弦らしさ」は感じられなかった。
ショートに選んだ「バラード1番」は残酷なプログラムなのかもしれない。
パリの散歩道のように勢いで彼を連れて行ってはくれない。
淡々と技術を積み重ねて、音を取りながら、表現していくことで味が出るプログラムだから。
会場の空気も盛り上げにくい音楽構成でもあるので、ジャンプの失敗で途切れてしまうと、
なかなか自分を上げていくのが難しいのだろう、と思う。
本来の彼だったら、質のいいジャンプと、滑らかなスケーティング、そして、音感の良さと、独特のオーラで滑りきるのだろう。
この日は珍しく、ゆづが滑っている時に氷をガリガリと削るブレードの音が聞こえて驚いた。
2012年のロミオのころの彼のスケーティングはいま見ると、氷をガリガリと削っていて、
滑っているというよりは、勢いで滑らせようとしているという感じだった。
オーサーコーチのところに行ってから、このスケーティングは劇的に改善されたと思う。
風を切って、トップスピードで滑っても、音がしないのが最近のゆづだった。
そうとう無理をしているのかもしれない、と感じた私は無意識のうちに手を合わせて祈っていた。
「どうか、無事にすべり切れますように」と。
結果はクワドの失敗と、コンビネーションが跳びきれず、5位。
回りきって転ぶことは簡単なことじゃなかったんだね、ゆづ。
クワドの軌道は小さめだったし、入りも回転も遅かった気がした。
あれではゆづが普段、跳んでいる綺麗な4Tは跳べないよ。
跳ぶ前から失敗することがわかっていたジャンプだった。
それでもスピンとステップでなんとか点を積み上げようとしているのはよく分かった。
もちろん、彼の武器はジャンプだけじゃない。
トータルパッケージの強さ。
そこからジャンプが抜け落ちても、取るべきところはもぎ取ることができる彼の強さを認識しつつも本人が納得していないことはキスクラの表情を見ても明らかだった。
頑張ったね、と見ているの多くは思っただろう。
それだけでいいと思ったファンも多かったかもしれない。
でも、たぶん、彼は勝算があって出てきたはず。
もちろん勝つつもりで。
だとしたら、この成績は受け入れがたいものに違いない。
最近のインタビューではもう「悔しい」しか聞いてない気がする。
フリーの日の公式練習で曲かけでクワドが決まっていたことを聞いて、少しだけほっとする。
感覚的なものは徐々に戻り始めてるのかもしれないと。
私はこの日、アリーナのキスクラに近い席で、出てくる選手とコーチがよく見えるところだった。
ゆづが出てきた時、袖口を見て、息を飲む。
新聞に書いてあったことを知らなかったので、ゆづが衣装を変えたことに気づいて、動揺してた。
いままで彼はシーズン途中に衣装を変えることはなかった。
一つの衣装に修正を加える事はあっても。
ジャージを脱いだ瞬間、あまりにも中国杯の衣装とちがうそれを見て、なんとも言えない気持ちだった。
あの衣装を着て滑ることはもうないのだろうか、と。
確かに新しい衣装も素敵だった。
大人びていて、洗練されていて、ノーブルなそれ。
もし、前の衣装を見ていなかったら、すっと、受け入れられたかもしれない。
私にとってはかつての衣装がファントムそのものだった。
包帯姿のイメージしかないあの衣装の記憶を塗り替えたかった。
でも、違う選択だったんだ。
あとで、血が落ちなくて新しい衣装になったと知った。
それだけが理由だったかどうかは私たちはしるよしもない。
リンクに現れたとき、ショートで出遅れた時のゆづがもつ独特のオーラは見えなかった。
いつもならものすごい勢いでトップでリンクに飛び出していくのに、そのスピードは控えめに見えたし、ガンガンとメニューにそってエレメンツを確認してく彼が、軌道や周りの選手ばかりチラチラ見ていた。
何をやるかもオーサーからの指示やアイコンタクトで選択している風にも見えた。
それでもクワドを2本決めていたので、もしかしたら、という淡い期待を抱いた自分がそこにはいた。
つづく。