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羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

流血のファントム  ~狂気の中に何を見たのか 3~

ハンヤンの順番が来て、彼がリンクサイドに出てきたのを見て、
6練に出なくても、試合に出られることを知る。

でも、ハンヤンの滑りはもう普段のそれではなかった。
きっと痛いんだろうなと思うくらい、顔を歪めた演技。
見たかったハンヤンの雄大な3Aは見れず。
それでも前半は何とかしようという意志が見れたけれども、時間とともにその気力が薄れていくことを感じる。
最後まで滑りきる、その当たり前のことを尊く感じる4分半だった。
滑り終わったあとの彼に疲労感と痛みが襲ってきたのだろう。
キスクラで後ろのパネルによりかかり、肩の下あたりをしきりに気にするハンヤン。
ハンヤンも自国開催の大会に出ないわけには行かなかったのだろうか?
もう、休ませてあげたい、それが彼を見たときの素直な感情だった。

キスクラにハンヤンが座って、落ち着いた頃、リンクには相変わらずバンテージを巻いたままのゆづが表れる。
やっぱり、やる気なんだね、と自分の中でもう一度、それを見る覚悟をする。
ハンヤンがあれだけ影響を受けてたのだから、ゆづに影響がないわけはない、と。

でも、リンクの上で動きを確認しながらハンヤンの点数待ちをしていた彼の動きがさっきよりもシャープだということに少し驚いていた。
ジャンプした後に苦しそうに咳き込む姿はそこにはなかった。

そこにあったのは、血の気の引いた顔にもかかわらず、強い意志と、狂気とも思えるその選択をやり切る決意だったのかもしれない。
その目つきは闘いに挑む男のそれだった。

待ち焦がれたはずのオペラ座だった。
このプログラムを見る瞬間をずっとずっと楽しみにしてきたはずだった。
こんな重苦しい心持ちでこのプログラムに向き合うことになるとは想像もつかなかった。

音楽が流れだし、羽生結弦のファントムは狂気の中に飛び込んでいった。

最初の4Sはほぼ目の前だった。
転んだけれど、回転しているような気がして、ホッとした。
この時、私の頭にあったのはクワド1本と3Aだけでも決まれば何とかなる、ということだった。
ここに彼が出てきたのは、間違いなくグランプリファイナルにつなげるため。
可能性を残すには3位でもいい、まずは表彰台に乗ることが重要。
そのための壮絶な彼自身との闘いがそこにはあった。

もともと彼のジャンプが回転不足を取られることは少ない。
フィギュアの採点方式は、たとえ転んだとしても、回りきって転べば、基礎点を稼げる仕組みになっている。
転ぶという見た目上の影響よりも、パンクと呼ばれる、回りきれずに着氷するほうが点数への影響が大きい。
4Sを回りきって転んだら、基礎点が10.5で、転倒の減点、GOEを引いても、6点くらいにはなるけれど、それが2Sになったとたん、基礎点は1.4になる。
そういう競技なのだ。

だから彼は跳ぶジャンプはたとえ転んでも、回り切る、と思ってたのではないかと思っていた。
4Tも転倒。こちらも私の席から見た角度では回りきっているように見えた。
さらに3F。これは綺麗に決まる。
後でプロトコルを見て!もeもなかったそれを見て、感動を覚えていた。

脳震盪を起こしているのでは、という報道もあったと聞く。
それでも演技の中での彼の動きからその影響は感じなかった。
そして、スピンはいつもの彼のそれに見えた。

ステップでは楽しみにしてたオペラ座の片鱗を見せてくれた。
これが完成形になったらどんなに美しいだろう、と私はその先へを思いを馳せていた。

ステップのあと、後半という地獄のような時間に、
残りのジャンプを跳びきることができるのだろか、という不安は拭えなかった。


後半の最初のジャンプ構成は4T-2T。
まさか、もう1本、跳ぶのか?と思っていた私の予想をジャンプへ向かう軌道が裏切っていた。
そう、3Lz-2Tで彼は3本目のクワドを回避しつつ、完璧にそのジャンプを跳びきっていた。
お散歩がちの3Lzがここで彼を助けてくれるとは。

つづくトリプルアクセル
明らかにいつもの彼より助走が長い。
その様子からもなんとかこれを決めたい、そう思っていたのだと思う。
結果、転倒。
このころから私の頭は冷静にTESの計算を始めていた。
彼が欲しいその点数にたどり着けるのか、を自分が実感したかったから。

2013年の世界選手権ではライブストリーミングを見ながら、ジャンプが決まる度に私は涙していた。最後の方は本当に画面が見えないくらいだった。
でも、今日、この場にいる私は、何一つ見逃してはいけない。
ここで起こっていることをすべて見逃さないために。
この決意の滑りを最後まで見届けるために、とそう感じていた。

その次のジャンプは綺麗に決まっていた。
そう3A-1Lo-3S。
試合で誰も跳んだことのないこのジャンプをこのタイミングで決めて見せたのだ。
後半で跳ぶこのジャンプの基礎点が14点台。
前半に跳ぶ4T-3Tと同じくらいの点数を叩き出せる恐ろしいコンビネーション。
これが決められるのが羽生結弦の強さなんだろうと思う。

この後の3Loは転倒。
跳び上がった瞬間に軸が歪んでいたので、回りきれなかっただろう、とも。
最後の3Lzでも転倒。
減点5のシニアの試合なんて見たことないよ、ゆづ。
それでも、彼の高難度ジャンプの詰まった構成では点を稼ぐことができる。
それが彼の目指す次の高みだったのだから。

このオペラ座に彼がどれだけの思いを込めてきたか、歌詞を口付さんだり、
最後の方は笑みすらも浮かべている彼を見て、感じていた。

彼にとって、生きることと滑ることはひとつに繋がっている。
だからこそ、身体が動くのに、滑らないという選択肢はなかったのだろう。
「ルールでしか彼を止められない」という意見はあながち的外れではないのだと思う。
そして、彼がそういう選択をし続けたからこそ、今の彼があるのだろうから。

ゆづの心の中にある狂気はまさにファントムそのものだったのだろう。
スケートに対する情熱と、ままならない自分の身体の状態との狭間で揺れ動くもの。
やり切ったあとの彼はまさにその狂気から解放された表情をしていた、そんな気がしていた。


私はこの先、彼のどんな素晴らしいプログラムを見ても、渾身の4分半のオペラ座の演技を忘れることはないだろう。
私をここに連れてきたニースの演技よりも記憶に残るだろう。

彼の魂が叫び続けた4分半だったと感じていた。


つづく。