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羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

【雑感】スーパースターになった君へ 〜24時間テレビに思うこと〜

ゆづが好きだと言っていた「back number」の「スーパースターになったら」という曲を、一人で静かなところで聞くと、無条件に涙がこぼれる。
この歌は恋人に向けたもの何だろうけれど、彼はこの曲に故郷への思いを重ねていたのではないかと感じたから。
ゆづにとって、「スーパースター」になる事は「金メダル」を取る事だったんだと思う。
どんな決意でそれに向かって行ったか、つぶさに見続けた。
そう、歴史を共有できる素晴らしいタイミングでここに存在する事ができたことに感謝しかない。

24時間テレビの特集を見て気づいた事は、いつの間にか、彼は「少年」ではなく「大人」になっていたということ。
頼もしくなったな、と。

私が彼を知ったとき、すでに彼は「ただのスケーター」ではなく、「被災をしたスケーター」だった。
そういう意味では私は「ただのスケーター」だった羽生結弦を残念ながら知らない。
もちろん、過去の映像を見ることもあるけれど、先入観なしで見るのはなかなか難しい。

そう、「被災した」という事は「羽生結弦」の一部。
できるならそんな重いものを本人も背負いたくなかっただろう。
それは容易に想像がつく。
でもね、時間を巻き戻す事は誰にもできない。
そこに存在した事象をなかったことになってできないんだよね。

こういう激しい痛みは、確かに時間とともに薄れていく。
薄れていくことはあっても、ずっと、ずっと、消える事はない。
痛みを知った人は残りの人生をその痛みに寄り添いながら生きていくしか選択肢がない。
だれでも「辛い記憶が消えてくれたら」と思う瞬間があると思う。

彼にとっての「被災地への思い」は心の中から、消える事はないのだろう。
消える事のないものであれば、そのために何ができるのか、そう考えても不思議じゃない。

インタビューの中で「被災地から逃れた罪悪感」を言葉にしていた。
そういうことを言われたりもしたのだろうね。
自分の中からもそういう気持ちは湧いてきたのかもしれない。
物事を繊細に捉えるタイプに見えるから余計に辛いことも多かったんだろうね。

オリンピックの「金メダル」をとったけれど、被災地の現状は変わらない。
彼が得た報奨金を寄付したとしても、あれほど広範囲に傷跡がのこる被災地がいきなり復興する訳ではないし、二度と震災前の状態には戻らないところもあるだろう。

日本の社会で一番、安全なところにいようと思ったら選択肢は「沈黙」になる。
はっきりとした言葉でスタンスを語ることで、揚げ足をとる人も、信じられない言葉で非難する人も出てくる。
それを押してもなお、彼は自分が「被災地」を象徴する存在である事を受け入れ、
同じ痛みを持った人々と、気持ちを共有したい、と活動を続けようとしている。
それが勇気と覚悟がなければできないことを私は知っている。

彼は運命を目の前に、逃げるのではなく、戦うことを選択したのではないか、と思っている。

これからも彼の選択を非難する人や、否定する人も出てくるだろう。
ただのアスリートとして生きることはもはやできないのかもしれない。
それでも彼はアスリートとして挑戦し続けること、この震災に対しての自分のあり方を明確にする事を、
オリンピックの終わったこのシーズンにちゃんとメッセージとしてそれを私たちに伝えてくれている。

心配もたくさんあるよ。
頑張りすぎて心や身体へ負担がかかるんじゃないかとか。
彼を攻撃する人たちの言葉に傷つかないかとか。



でもね、君が選んだ道。
君の勇気と覚悟の結晶。

大人の私から見て、無謀だったり、無茶だったりに見えても、それは私の感情でしかない。
自分が19歳のころ、もっと覚悟もなく、ふらっと生きてことを考えれば、はるかにしっかりしている。


ひとりのファンである私にできる事は、君がたどり着きたい世界に手にするための選択を、できる限り応援し、ちょっとした後押しをするくらい。
そのチャンスをもらえたことは本当に幸せなこと。

その反面、「スーパースター」になれなくても、「金メダル」が取れなくても、君を応援する気持ちは変わらないことを伝えられたら、と思ったりもする。
君からもらった勇気や、元気や、笑顔はそんな物理的なものよりも私たちを豊かにしてくれているのだと。


ありがとう。
すてきなパフォーマンスを見せてくれて。
ありがとう。
そこに存在してくれて。

ありがとう。
かっこいい生き方を見せてくれて。


昨日のロミオは皆殺しロミオではなく、癒しのロミオだった気がしたよ。