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羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

【World】決戦の地 〜王者であることの証明とは〜

2014-2015シーズンの羽生結弦の闘いは大歓声とともに幕を閉じた。本人ですら、こんな山あり谷ありの一年になるとは思っていなかっただろう。

 
オリンピック王者が背負うもの、が何なのかというものと葛藤した1年だったのかもしれない。
いま冷静に振り返っても、ソチオリンピックでの勝利は彼が手に入れたものだったと思っている。
素晴らしかった「パリの散歩道」。
彼の競技人生の中で一番のパフォーマンスだったと思う。
確かにフリーでは失敗も目立ったけど。
フィギュアは絶対評価の競技ではない。
その日、確かにフリーでもトップだったのは彼だった。
パトリックは不運だったと思うけど、彼もまた目の前に見えた金メダルという魔物に飲み込まれた1人だった。
 
 
けれど、多くの人がそういう勝ち方をした彼にオリンピックチャンピオンらしくないと口にした。
ふと、ショートトラックでみんながこけてメダルを取った人がいたことを思い出した。
彼もまた、同じようなことを言われたのだろうか。
 
 
その圧力が今シーズンの羽生結弦から何度も何度も「オリンピックチャンピオンらしく」という言葉を引き出したのだと思う。
そんなに気負わなくていいのに、とファンはやきもきするくらいに。
 
 
認めて欲しかったんだと感じた。
自分がその地位にふさわしいスケーターであると。
そして憧れの王者と同じようにどんな時でも勝てる絶対王者になりたくて、フィギュアスケートの未来を目指して、自分も進化させようとしていた。
 
 
アクシデントは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
フィギュアの神様が彼に王者とは何か、を教えるための。
 
 
彼がこのシリーズに見せたのは諦めない闘志だった。
私たちが見ていないところでどれほど泣いたのか、どれほど苦しんだのか、そして、どれほど諦めようとしたのかわからない。
 
でも彼は試合を休むことなく、その時にできる精一杯でそれに臨んできた。
結果はついてきたものも、そうでないものもある。
それでもその姿をみて勇気付けられた人は多いはず。
私たちスケオタは「馬鹿か、アホか、心配させるな、ボケ」くらいの悪態はつくけど、本当にその選択には頭が下がる。
 
 
そんな彼の「不屈の精神」が王者としての証明だった気がする。
勝ち続けることは本当に難しい。
だから勝って現役を終える選手も多い。
王者が舞台に立つということは、勝利を約束することだと考える人も多いのではないかと思う。
それを踏まえて舞台に上がること、それ自身がチャレンジそのもの。
そして、彼は、それに向かう闘志を見せ続けた。
それこそが「王者そのもの」だったような気がしてならない。
 
そんな王者は戦いを終えたエキシで、そこまでハラハラし続けた私たちや自分の思いを浄化させるかのごとく、ファイナルトラベラーを滑る。
彼のこういったプログラムはもう神がかり的な癒しの効果がある。
ふっと優しいオーラに包まれて、いろんなマイナスの感情から解放させられる。
エレメンツに3Aを入れてくるのはご愛嬌。
楽しそうに、幸せそうに滑っている彼を見ていて、本当にここに笑顔で帰ってこれてよかったと。
あの日は立てなかった、表彰台に立つことができてよかったと感じていた。
 
 
フィナーレで4Tにトライしたゆづ。
知ってるよ、君が綺麗なクワドトウが跳べることは。
でも、ぼく、跳べるんだよ、本当は、と言ってるような綺麗な綺麗なクワドトウだった。
だから次はそれをプログラムの中で決めて見せて。
そう、ため息の出るような、あの美しいクワドトウを。
 
 
続いて4Sを決めたハビ、お兄ちゃん’sに引っ張り出されて4Sを転倒したナムくん、その3人と嬉しそうに戯れる姿を見て、彼はちゃんと自分の居場所を見つけたんだなぁと、感じてた。
 
王者にも休息できる場所も必要。
クリケットで手に入れたものはコーチ、スケート技術というスケートをやるために当たり前に必要なものだけでなく、
家族や仲間という心を休めることが出来る静かな居場所だったのかもしれないね。
 
本当にこの三兄弟がお互いに切磋琢磨して、そろって台のりする日も遠くないのかもしれない。
そんな三人を率いるブライアン・オーサーはこのワールドの一番の勝者だったのかもしれない。