■ヘルシンキ世界選手権へのカウントダウン 〜 枠とりは誰のものか その1〜
例によって、まだ準備は進んでいない。
やっと、20日に持っていくものリストを何とか作成したくらい。
でも、最後はパスポートとチケットとお金があれば何とかなると信じている(笑)。
今までの遠征もそうだったように。
なんと、もう、来週の今頃には世界選手権は始まっている。
まだ、まだ、なんて思っていたのに、あっという間。
きっと、私にとって、最後の世界選手権の海外遠征。
羽生結弦が引退したら、日本で開催される大会を見にいくことはあっても、もう、海外遠征には行かない、と決めている。
(引退しないとなったら、、、はこれから考える)
埼玉、上海、ボストン、そしてヘルシンキ。
計4回、ワールドを現地観戦することに。
2012年に初めて彼を見つけた時の私にそんなことを言ったら、笑われるに違いない。
ヘルシンキはオリンピックの枠がかかる重要な大会。
前回はカナダだった。
何日か前にも記事が出てたけれど、あの大会も忘れられない大会のひとつ。
仕事でリアルタイムで見れなかった。
結果をみて、愕然としていて、どんな風に過ごしたのかもう、覚えていない。
その年の活躍からSP9位を予想すらできなかった。
インフルだったり、捻挫だったり、満身創痍でその大会に望んだ彼はどんな気持ちだったのだろう?
2012年の日本選手権で初優勝。
真冬の真駒内は外よりも会場の中の方が冷え冷えとしていた。
今でも、あの異様な光景は忘れない。
可能な限り現地応援すると誓ったのもあの場所に立ち会ったから。
映像ですら、気持ち悪くて、今も見れない。
そんな場所で、勝ち取って、得た出場権。
3枠を取ることを期待されて、戦いの場に挑んだ彼。
18歳の彼は自分のコンディションの悪さも含めて、どんな気持ちでその戦いの場に立ったのだろう。
象徴的だった、あの涙の裏にどんな苦しい多いがあったのだろう。
最終的にフリーで彼が力を出し切って、何とか、4位に踏みとどまったその姿にただ、ただ、泣かされた。
全日本の勝者として、その役割を何とか果たし切ったその精神力に感服した。
犠牲にしたものも、たくさん、あったかもしれないけど。
3枠。
その枠の一つが、彼をオリンピックに連れて行き、メダルへ繋げたのだ。
自分で、確保して、自分で使った、その枠。
世界選手権や、オリンピックで、3枠をを持っていることはそのカテゴリでフィギュア強豪国であることの証。
一度、枠を減らすとなかなか戻すのも難しくなる。
上海で2枠に減った枠を、ボストンであっさりと、ゆづとしょーまが取り返して3枠に戻した。
彼らが実力を出せば大丈夫だと思ってはいたけれど、オリンピックシーズンに3人で戦えるのは心強い。
そう、ヘルシンキでは3人でオリンピックの枠を取りに行かなければならない。
自分たちのオリンピック出場のために。