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羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

【WTT】バイバイ、クリスティーヌ   〜ラスト・ファントムのつぶやき 1〜

泣いても笑ってもこれが最後のファントムになる。
その覚悟で代々木体育館に向かっていた。

ゆづを応援し始めてから、私の心を掴んで離さなかったロミオから解き放ってくれたのはファントムだった。
中国杯で見たこのプログラムは一生、私の心を掴んで離さないだろう。
(来年、あっけなくこの言葉が翻るくらいの素敵なプロに出会うこともどこかで期待しつつ)
あれは、妖艶で、力強くて、そして儚い、ファントムは私のイメージぴったりだった。

6分間練習で調子が悪かったのはクワドトウ。
昨日はあんなに綺麗にきまったのに、ね。
クワド2本を揃えるのは本当に難しいことなんだろうな、と感じる。
いつかゆづもそれを当たりまえのようにこなす日が来るのだろうか?

ラスト・ファントムの物語を目のまえにドキドキが止まらなかった。
あの強気発言の結果、彼が何を見せようとしているのか、とて楽しみで仕方なかった。
ムラくんもいい演技をして、いいポジションにつけていたので、ゆづもそれに続いてほしい、とそう思いながら、祈っていた。

会場の空気は昨日と打って変わっていて、コールの後はゆづの息遣いが聞こえてきそうなくらい静まり返っていた。
たぶん、競技が始まる前に、何度かコールの後に掛け声をかけないようにとアナウンスがあったからだろう。
たったこれだけで収まったと考えるのか、昨日とは客層が違うと考えるのか、どちらが正しかったのか、私には分からない。
でも、行動したことにはちゃんとした効果があったように思う。

ウォームアップで跳んだ3Aが綺麗に入って、今日は完璧なファントムが見れるのかも、と期待は膨らんだ。
静かに滑りだすファントム。

最初の4Sは目が覚めるほど美しいフォームのそれだった。
会場は一気に熱狂した。
続く4Tが3Tで着氷したのを見て、私は落ち着かなくなった。

どこでリカバリするんだろう、と。

NHK杯の時、やはり4Tが3Tになって、結果的には3Aを1Aにすることで跳びすぎ回避ができていた。一番、点数を失わずに済む方法はなんだろう、と頭を巡らせていいた。
だから、正直、彼が3A-3Tを3A-2Tで跳ぶまでのことをよく覚えていない。

選択肢はいくつかあった。
3Lz-2Tのコンビネーションを4T-2Tにすること。でも、これはリスクが高い。
そして2つ目は3A-3Tを3A-2Tにすること。
それ以外の選択肢は3Lzを2Aにすること。
でも最後の選択肢は前から踏み切るアクセルジャンプを跳ぶために軌道をかえることも余儀なくされるし、最後のジャンプで修正しきれないのは厳しい。
そんな状況で彼が選んだのは3A-2Tを跳ぶことだった。

彼はいままでもジャンプの飛び過ぎで同じ間違えを何度も繰り返したことはない。
N杯で体験してる彼はきっと、対策を用意しているだろう、という予想をしていた。
(どう考えてそれを選択したのかは本人に聞いてみないとわからないけれど)
それをちゃんとやってのける冷静さを持っていたということ。

ジャンプが決まる度に会場のボルテージは上がっていく。
最後のスピンのころには立とうとする人たちがウズウズしているのが分かった。
多くは4Tが3Tなったことに気づいていないようで、目の前でものすごいことが起こっていると思っているようだった。

GPFの時と同じフィニッシュポーズに戻した彼。
そうなるとますます上海のあれには何か意味があったのかを聞きたくなる。
私はファントムのラストはこのラストが好きだ。

その後、会場はもの悲鳴のようなものすごい歓声に包まれた。
私の後ろで「200点、超えるよね!」と言っていた方がいた。
4Tが決まっていて、そして、3A-3Tを3A-2Tでとんでなければね、と、思わずつぶやきそうになった。
生観戦もあまりしたことがなくて、ジャンプの見分けがつかない人にとってはあれは完璧な演技に見えたのかもしれない。
そんな歓声を彼はどんな複雑な気持ちで聞いたのだろう。
たしかにクワド2本は跳べなかった。
でも、確かにこのシーズンを駆け抜け、そして、ベストパフォーマンスに近いものをやってのけたことは本当に、本当に、素晴らしいことだったのだと思う。

完璧ではなかったけれど、まとまった見応えのある演技だったよ、ゆづ。

家に帰って演技をテレビでつぶさに見て、最後の最後に「ありがとう」と言っていることに気づく。その姿を見てこの日、初めて泣いた。
「ありがとう」はこっちのセリフだよ、ゆづ。
オリンピック後の難しいシーズンに加え、さまざまな試練を乗り越え、私たちに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
やりぬくことや、諦めないことを意味を自らが実践してみせた。
それがどれほど、尊いことか、分かる人には分かるはず。

会場ではそこまで細かく見れなかったけれど、このラスト・ファントムの所作は本当に美しかった。手の先までファントムだった。
それとともにとても男らしい表情で滑りきっていた。

もう、少年だった彼はそこにはいない気がした。
大人として、男として、ファントムの思いを演じているのだと感じることができた。

これからどんどん彼は大人っぽくなるだろうね。
可愛らしかったかれはどこかに残るのかもしれないけど、もう、すっかり男の顔。

ファントムはそういうプログラムだった。
彼は駆け足で大人への階段を登っていったかもしれない。


つづく