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羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

流血のファントム  〜喧騒の中の真実 1〜

中国があまりにも情報過疎地域だったので、日本に帰ってからの怒涛のような報道に最初は少し驚き、だんだん辟易していき、今はもう、諦めています。
 
私に言えることは、羽生結弦の存在はそれほどのコンテンツになってしまったということ。
もう、これを変えることはしばらくは困難でしょう。
オリンピックのメダルにはそれだけの威力がある。
ましてや彼のように感動を仕立てるための要素をたくさん持っている選手では抗いようがありません。
 
報道には2つの観点があると思ってます。
ひとつは出場させるべきだったのか、という点。
もう一つは競技運営を今のままやり続けるべきなのかという点。
 
これは別々に語られるべき議論だと私は思っています。
 
競技運営の問題は問題があると判断されれば、変えていけばいいことです。
50年間、やり方を変えなかったのはなぜか、今までも事故はあったのに変えなかったのはなぜか、変えるとしたらどのような形式がいいのか、十分に議論を尽くしていい選択をして欲しいと思います。
世論がその一つの材料なら、自分なりの意見を関係者にぶつけるのもひとつの方法なのかもしれません。
今まで動かなかった組織が彼の事故で真面目に考えるのであれば、それはひとつの進歩だと思います。
世の中にはそんなこともたくさんありますしね。
 
出場すべきだったのか?という議論には私は乗らないと決めています。
理由は簡単。
私がどう思おうと、彼の人生に責任を持てる立場にないからです。
ただのファン。
それが私の置かれている立場。
コーチでも、肉親でも、友達ですらありません。
 
思うことはたくさんあります。
現地で、「やめよう」と口に出してしまったのも私です。
それでも今は彼が選んだ選択を尊重したいと思うのです。
 
彼がオリンピックでメダルを取る過程には、いろんなことがあったはず。
私たちも知らない厳しい判断もたくさんあったんじゃないかな?と思ったりもします。
その中で彼が彼にしかできない決断をしたから、今の彼があると私は感じています。
 
プル様が言うようにこれは小さい大会かもしれない。
医療関係者が言うように、命の危険があったのかもしれない。
選手生命を脅かすことになったかもしれない。
そんな決断を興奮状態にあった彼にさせるのが正しいのか?という気持ちは理解します。
 
けどね、彼はやりたかったんだよ。
きっと、氷の上で命を落としたとしても。
二度と滑れなくなったとしても。
美しいファントムを披露したかったんだよ。
グランプリファイナルにも行きたかったんだよ。

怪我を抱えた体で、オリンピアンとしての責務を果たすようなスケジュールの中、彼はあれを作り上げてきた。
モチベーションの上がりにくいこのシーズンにこの曲を選んだことに意味がある。
ローリーが真央ちゃんに「アイ・ガッタ・リズム」を選んだ時の言葉を思い出していた。
毎日、聞く曲だから、楽しい気分になれるものを、と。その曲が真央を助けてくれる、と。(うろ覚えです)
ゆづにとってオペラ座はそういう音楽だったんじゃないのかな?
中国でのパフォーマンスを見て、その妄想は確信に強い気持ちに変わっている。
 
そのオペラ座を演じることなく、舞台を降りる選択はなかったんだろうね。
 
現にそのオペラ座は怪しいオーラを放つ、彼にとって最高の作品に仕上がろうとしている片鱗を私たちに見せた。
これが仕上がったらどうなるのだろう、という期待感を持たせるに十分だった。
 
もともと羽生結弦という選手はアンバランスな選手だと私は常々、感じている。
リンクの上での精悍さと、オフリンクでの無邪気な仕草。
気を許した相手にはマシンガントークなのに、オフィシャルな場所での言動や立ち振る舞いは計算されているそれ。
きっと、フィギュアスケーターでなければ、引きこもりのただのゲーマーになってたかもしれない。
 
自分が20歳前後のころ、何を考えてた?
レベルは違ってても、無茶で、無謀なガキだったと断言できる。
 
そんなお年頃だけれども、彼は、競技の世界で自分の選択に責任を持たなければならない立場にある。
その選択の代償もちゃんと払っている。
こんな大騒ぎになることは本人も予想しなかったかもね。
今頃、テレビを見ながら、やべーよ、とか言ってたりして。
そういうことも学んでいるところなのかも。
 
メダルが予想外に早く手に入ったことで、彼は自分がそれにふさわしい人間であることを求められている。
本人はスケートのことばっかりでそれを感じてるようだけども、人格者であることもそれに含まれる。
いつも正しい人間であり続けることを期待されている。
それが彼が手にしたオリンピック金メダルの大きな代償なのだろうね。
 
もらった時から彼が言ってた言葉を思い出す。
「重いメダル」だと。
そう、本当に重いメダルだったね。
いま、その重さをずっしりと感じていると思う。
 
つづく。