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Stay Gold!

羽生結弦くんの応援ブログです。ここで記載されている内容はあくまでも私の個人的な意見であり、正当性を評価したものではありません。どのように受け取るかはそれぞれがご判断ください。

言葉はそれほど自由なのか? 〜「震災をアクセサリー」にしている発言について 2〜

日本人は議論の仕方を知らない、と普段から感じています。

ある事象に対して、異なる意見を交換するという事が苦手で、反論を「人格攻撃」と勘違いする傾向が強いです。
それがこの事件にも現れていたと思います。

だれも貴方を責めていません。
発せられた言葉に対する意見を言っているのです。
「震災をアクセサリーにしている」に対する反対の意見は「その言葉は不快だから、訂正して欲しい(削除して欲しい)」です。
あなたが誰のファンだとか、どういう生活をしてるとか、性格が気に入らないとか、そんな話ではなかったはず。
では、その意見に従わなきゃ行けないのか?については私はNOだと思っています。

自分が発した言葉の背景が説明できて、相手を説得できて、ああ、そういうことなら、仕方ないな、と思わせるまでが議論。
ちゃんと自分の正当性を主張して、自分の行動を決めたらいいのです。

今回、私が憤った理由は、議論の中で間違いを認めて、謝罪をするという結論にたどり着いたのに、すぐに覆した事。

集団リンチだったから、ネット工作員がやったから、どっちもどっち。
と当人ではなく、擁護する方々呟き始めました。

だったら、議論してる相手にそう伝えればよかったじゃないですか?
私は集団リンチをされていると思うから主張は変えない、と。

騒ぎを収めるためだけに謝るってかっこわるいですよ。
きっと、いまでも自分は正しい、と思っていると思うし、すくなくとも彼女が所属するクラスタの中ではそれが正しいのかもしれません。
信じ込むのも自由で、誰にも止められません。

ただその主張を誰もが支持する訳ではなく、人を傷つける言葉を言い続ける限り、誰かがまた反論してきます。
それが永遠に続くでしょう。
人を「批判」したり、「中傷」するってそれほど覚悟がいる行動なんです。


私には理解できない事がひとつあります。
批判も意見もされたくないのに、公開された場所で「批判」「中傷」を続ける理由はなんでしょう?
居心地のいい仲間のクローズドな環境でやっていればこんな事にならないのに、それを選択している理由はなんですか?
この「批判」や「主張」をたくさんの人に知ってもらって、賛同者を増やしたいからじゃないんですか?
もし、そうだとしたら、ネットのメリットだけを享受し、デメリットは受け入れないという主張に見えます。
そういうことでしょうか?

他に理由があるというならぜひ知りたいくらいです。
いくら考えても私には思いつきません。

集団リンチって言葉を利用していた方もいらっしゃいましたが、たくさんのから意見を受けたら、集団リンチですか?
私からは批判する人たちを選別して、意見に反論できないな、という方はブロックをしてましたし、反論できそうだと言う人には意見を返すという行動に出ていたと思います。
それを集団リンチというのでしょうか?

リンチって、制裁を加える事なんですよ。
彼女達の主張に従って、物事を捉えるなら「制裁を加えられた」という事なのでしょう?
どんな制裁?
言葉によって傷ついた事を示すのだったら、すでに彼女達の心ない言葉に傷ついた人に対しても同じ言葉を使いますか?

さらにネット工作員による活動?
もう、これは可笑しくて笑いました。
そんな事をしないと自分たちの主張が守れないのであれば、反論に無理があるとそう感じざるを得ません。
議論を放棄した、ということです。
「あなた達はお金をもらって私たちを攻撃している人なので、私たちは正しい」とその選択が主張しています。

それしか選べないほど、彼女の主張は正しかったと私は思っています。
ちゃんと、議論に対する正当性を認めた上で、私はこれが正しいと信じてるから、変えません、と議論の相手に言うべきだったのではないでしょうか?
さらなる批判を覚悟の上で。
信じて、口から出した言葉に責任を取ればいいのです。

 

私も時々、厳しい意見を頂く事があります。
訂正する事もあるし、相手の主張が納得が行かない時は可能な限り、議論します。
その上で、お互いが平行線である事を納得し、関わらないという選択をすることもあります。
その過程を通らず、面倒になって途中で放棄する、話をすり替える、という形をとりましたよね?

 

その過程を間違っているから、状況が悪化していくのではないでしょうか?

言葉ってとても重いものなんですよ。
自由ではないのです。

自由でない言葉を使って、どれだけ自分の主張を伝える事ができますか?
人が誰かとコミュニケーションをとるとき、それがベースになっています。
SNSが作られた目的は人と人のコミュニケーションのためであり、悪意の拡散のためだとは私は思いたくないです。

さて、最後に一番、語りたくない、「どっちもどっち」、「代理戦争」に対する私の意見を書きます。
ちょっと、重すぎる課題なので、次の記事で。

 

つづく。