【雑感】それはもうひとつの「愛」の形
フィギュアスケートにというか、「羽生結弦」という存在に、を追いかけて丸2年。
ソチオリンピックを経て、最近はゆづだけではなく、この人のパフォーマンスをもっと見たい、という気持ちも増えました。
そして、結局、ショーや試合に足しげく通うことになる・・・という罠。
それはそれで楽しいのでいいのだけれど。
どんなに気になる選手が増えても、多分、私自身が「羽生結弦」という選手のファンでなくなることはない、と断言できます。
誰か特定の選手を応援する気持ちって、その人のパフォーマンスだけを楽しみにしてるだけでは沸き上がってこない気持ちじゃないかな、とふと感じるようになったから。
もちろん、最初はパフォーマンスがきっかけなんだけれど、そのパフォーマンスがどんな人となりから作り出されているのか、ということを知って、より深く嵌るか、浅くパフォーマンスを見たいというファンとしてそこに存在するか、が分かれてくるのだと思う。
そう「人となり」そのものもその人を好きになる理由のひとつ。
そして、特に男子スケーターを応援する女子は(それがいくつであってもw)、やっぱり好みの男性のタイプとそれがマッチしているような、そんな気がするんだよね(妄想です)。
私は基本的に女々しい優しすぎる男は苦手、言い訳が多いと文句言いたくなっちゃう人。
「強がり」って男の子の最後の砦だと信じて疑わない。
だから、見るからにもう駄目っぽいのに「オレは大丈夫」と言っちゃう人が好き。
限界までは走りきろうという姿、強がっている姿に男気を感じるのです。
そういう人を見ると、その一緒に走りたいとか、後押しをしたいとか感じるタイプ。
走ってる姿を見ながら、強がってる姿をみながら、
「コイツ馬鹿だな、だけどむっちゃ愛おしいじゃなか」と感じてるようです。
それと同時に「未完成」状態のものがとても好き。
目を離した隙に一気に成長して、あっと驚かされるのが楽しくてしょうがないから。
完成品は素敵だけど、いつ見ても安定しているって、ドキドキ感がすくないのかも。
そうして、私は「羽生結弦」という少年にその姿を見つけた訳です。
こんな状態なんだから、当然、贔屓目もあるし、冷静に分析できない時だってある。
感情移入しているのだから、やっぱりその選手が嬉しい時は一緒に喜ぶし、落ち込む時はこっちもそういう気分になる。
それも含めて特定の人を応援するってことなんだろうと思います。
だから、きっと、その人の悪口が書かれていたりすると感情的に攻撃したくなったり、
反論したりしたくなったりするんじゃないかな、と感じるのです。
だけど、そんな風に人の好みがベースになっているのだから、当然、好みは分かれます。
相容れない場合もある、というのは私自身も実感してること。
アスリートとして応援してる気持ちはもちろん前面にあるんだけどね、それだけじゃ、こんなに嵌れない。
いわゆる恋愛感情ではないけど、「ひとつの愛のかたち」
だから、気づいて欲しいのです。
それは、もう、「恋」に近いもので、それが故に「盲目」なんじゃないかな?
選手の強烈なファン同士が上手くいかない理由ってここにある・・・と何となく感じてます。
・・・・え、言い過ぎw?
違ったw?